私をケチと呼ばないで

 私は、あまりお店ではものを買わない。

 ①片づけが下手なので、というか 面倒くさがりなので、ものを増やさないようにしている。

 ②誰にお金がまわっているのか見えにくいお店では、あまりモノを買いたい気持ちにならない。


 でも、生活するのに最低限の家具や衣類、食べ物は必要。

 どこで、手に入れるのかというと、親しい人から不要になったものを譲り受けている。

 日本人の駐在員の人ともおつきあいがあるので、帰任されるときに不要になった家具をお手頃な価格で譲っていただく。

 しかも、ただ、手頃な値段で手に入るだけでなく、モノを介して、その人との思い出がよみがえってきたりする。

 先日も「この棚は●●君の家から譲ってもらったなあ。元気にしてるかな」という話を子どもとしていたところ。

 子どもの服もまた、近所の親しい人から譲っていただいている。このお母さんは以前にアパレル関係のお仕事をされていたとかで、洋服のセンスが抜群。気持ちだけのお礼をさせてもらっている。

 子どももちょっと年上の近所のお兄ちゃんからの服ということで喜んでいる。
 
 小学校高学年になっているけど、今のところ文句は出てない。
 
 
 で、私はというと、ついつい本をたくさん買ってしまうので、手元に長く置いておく必要のあるもの以外は、まわりの日本人の方にもらっていただく。

 私だけでなく、アメリカ人も再利用は好きみたいだ。

 アメリカ人は、あまりもったいないという意識もなく、どんどん、お金を使っている面もあるけれど、ガレージセールで(自宅庭先でフリマみたいなもの)よその家の不用品を安く買って、間に合わせている人は少なくない。

 そういえば、近所のおじいちゃんが亡くなったとき、息子さんが遺品を整理されていて、道路脇に食器などを「ご自由にお持ちください」と書いて積んでいた。そのとき、私は食器は必要なかったんだけど、息子さんとおじいちゃんの思い出話をして、小さなお皿2枚いただいてきた。

 いまでもそのお皿を使うたびに、いつも通学中の子どもたちに声をかけてくださったおじいちゃんのことを思い出す。

 お金が節約でき、思い出が残る再利用生活。だから、私をケチと呼ばないで。