谷口輝世子Kiyoko Taniguchi

米国在住のライター。日本ではスポーツ紙の記者をしていました。スポーツ取材が中心です。

高校野球の球数問題

高校野球の球数問題について 

米国のメディアでも、日本の高校野球(とくに甲子園での全国大会における)の球数問題が取り上げられている。 

まだ、完全に体ができあがっていない高校生投手が、トーナメント期間中にたくさん投げすぎているというものだ。 

医学的には、球数制限することが肩やひじの故障を防ぐとされていて、たとえば、米国では子供たちの野球に関しては、一週間単位、1日単位の投球回数や球数のガイドラインが定められている。 

投球制限をしているはずの米国でも、野球をする子供たちのひじや肩の障害は減るどころか増えているらしい。

これは以前にこのブログでも書いた。

リーグの掛けもちする子供たちがいるからだ。また、投球フォームや投球動作などを、子供たちが身に着けているかによっても、故障につながるかどうかの分かれ目にもなるだろうから、球数だけを犯人扱いするのは、どうかなとも思う。 

それとはべつに甲子園での全国大会の感想について。 

都道府県大会からトーナメント形式のため、甲子園に行ける1校以外は負けなければならない。甲子園大会でも、一回でも負けたら、おうちへ帰らなければならない。 

高校野球報道の特徴として、勝者だけでなく、敗者もたたえるというものがある。

同じ高校生同士、両者の体面のバランスが崩れぬように、高校生同士のスポーツという秩序を保つために儀礼的に行われているようにも感じる。負けても精一杯やっているか、負けても最後まで戦い抜いたか、負けてもスポーツマンらしくサワヤカだったかということが敗者を評価する際の項目になる。

 ときどき、モノが違うという選手が登場するが、彼らを「怪物」とか「ゴジラ」と呼んで、高校生離れしていることを強調し、同じ高校生であっても負けても仕方ないのだ、持てる力を出し切れば…というマトメかたになる。

 高校野球のストーリーは負けた選手たちのくやしさや涙(それだけではないだろうが)でもっている。

 じゃあ、勝者はどうなのか。そのときに勝ったものは、無傷で、余裕しゃくしゃくで、後ろには救援投手が充実していてとなると、ちょっと世間のウケが悪いかもしれない。敗者とのバランスを保つために、強くて、力のある投手は、暑い中、疲れていても投げ抜かなければならない、と世間は意識的、無意識的にとらえているのかもいれない。

 そんなことを考えてみた。

 あと、本人も、保護者も「投げ抜くことを望んでいる」という志願登板どこから来るのかなと考えている。その意識や考えを後ろで支えているストーリーは、たぶん何十年も、もしくはそれ以上かかって、できたものじゃないかなとは思ってるんだけども。

 わたしも、投げすぎないことによって防げるケガをしてしまうのは、保護者として「何とかしたい」とは思っている。でも、米国人に投球数に関して「クレージー」だと批評されると、弁解とか弁護したい気持ちにもなっていて、自分でも「どうしたんだろ」と思っているところ。