大阪アースダイバー

昨年か、一昨年か、もうすでにあやふやだけどツイッターで知った『大阪アースダイバー』(中沢新一講談社)を購入した。

大阪アースダイバー

買ってすぐに一通り読み、ここ数日、パラパラとめくったりしている。

私は生まれてから10代の半ばまで、この本のひとつの核となっている上町台地に住んでいた。谷町筋松屋町筋の間で、ビルに囲まれた路地の長屋で育っている。上町台地の坂で、自転車のブレーキをかけずに全速で下まで降りるというのが、幼稚園、小学校時代の根性試し。

この本に出てくる神社のいくつかは、子ども時代の遊び場で、いつも蝉取りに励んでいた場所でもある。宮参りや七五三、夏祭りもこの神社でやってきた。

確か小学校3年のときだ。神社の周辺にラブホテルが何件もあることについて、それが何のためにあるのかはまだ知らず「同業者が近くにこんなに何件もあると、競争が激しく商売にならないのではないか」と、とても不思議に感じた。

父は玉造で自営業をしていた。学校が休みになると家から仕事場まで昼ご飯を運ぶのが私の役目だった。そんなこともあり、三光神社、玉造稲荷にもよく行った。真田の抜け穴に入ろうと、柵を外そうとしてヨソのおっちゃんに怒られたこともある。

私の父は5年前に死んだ。

うちの家は子どものころから家族で泊りがけの旅行をしたことが一度もない。父が遊んでくれたという記憶もあまりない。祖父母と同居だったこともあり、夜に外食するということも一度もなかった。

小学生のとき、父と阪神電車に乗ったところまではよかったが、子どもだけを遊園地の阪神パークで遊ばせ、父は競馬場に行ってしまったり。映画館にも行ったが、父は中へ入らず、隣のパチンコ屋に入っていた。

家族サービスという言葉とは無縁の父だったが、この『大阪アースダイバー』を読むと、父と出かけた場所がたくさんあることにようやく気づいた。

うちの家は商売をしていたので、商売繁盛のために、生駒山にお参りすることを習慣にしていて、父と私、弟は月に1度程度は山を登ってお参りしていた。

また、父は詩吟をやっていて、日曜日の朝になると、アースダイバーに出てくる上町台地付近の神社に練習をしに行っていた。(家は路地の長屋なので、大きな声で練習することは不可)。幼稚園、小学校時代の私はヒマだったので、練習をする父によくついていった。ついていくとソニーのテープレコーダーをさわらせてもらえた。

大阪アースダイバーを読むと、父との記憶がよみがえってくる。

私は父が生きている間も、亡くなってからも、父のことをしゃべるときは「どこへも連れていってくれなかった父でして、ヘヘヘ。家族サービスも子どもの世話という概念も皆無ですわ~」と言っていた。これはお詫びして撤回します。

別に父が東西の軸線を意識していたわけではないだろうけど、生駒山上町台地にある神社を父の用事についていくことで、私はこの軸線を行き来していた。

 それが、そこで生まれた私にとっては、あまりにも「アース」過ぎて、自分の身体の一部のようになっていたのか、つい最近まで、全く忘れていた。それを大阪から遠く離れたアメリカの自分の家で思い出した。