体力、運動能力格差 アメリカの体育授業で

9月に入ってから、

7年生の長男が通う中学校と、5年生の二男が通う小学校のカリキュラム説明会に行きました。

体育の授業の説明もありました。

中学校は全員が持ち点100から始まるそうです。忘れ物をしたり、遅刻したりするとその持ち点から減点されて、成績に反映されるとのこと。

忘れ物をせず、遅刻をせず、体育にふさわしい服装をして、規則を守って授業に参加していれば、100点がもらえるそうです。

運動能力そのものは成績には入りません。説明を聞いた限りでは、絶対評価でも、相対評価でもなく、運動能力そのものは評価の対象外のようです。(うちの子たち、体育くらいしかいい成績が…というのもちょっと頭をよぎりましたが)

小学校のときは授業態度とともに、運動能力や体力テストのようなものの結果が評価対象になっていました。

このブログでも何度も書いていますが、体育というのは、結果が同じ授業に出席している友人に丸わかりな科目です。数学のテストの点や英語のテストの点は個人情報として公開されることはありませんが、体育や美術、音楽といったパフォーマンス系は丸わかりです。しかも、体育は走る速さなどは計測できるので、誰にでも優劣がはっきりわかります。

体育の先生方は「結果が丸見えである科目」であることにとても配慮されているようでした。中学の先生も、二男の体育の先生も「授業中には、他の友人のことをリスペクト(尊敬する)ように指導している」ということを強調されていました。長男のほうは、先生、友達、自分を尊重するという内容を盛り込んだ規則遵守プリントに署名していました。

それぞれが以前よりも体力をつけることができたり、新しい技術を身につけることが大事であると。体育の不得意な子どもが体育嫌いにならないようにということで「もし、体育の授業で自分の子どもがイヤな思いをしているようであったら、連絡をください」ということでした。私は親として有難いなあと思いながら、聞いていました。実際、問題があったときに、学校がどのように対応するのかは知りませんし、カリキュラムが本当に苦手な子に配慮したものになっているかも授業内容を見たことがありませんが…(実際はチーム分けなどをするときに、先生が戦力均衡になるように配慮されたり、子どもにチームメートを選ばせたりしないなどのようです。日本だったら当たり前かも)

ここで、ちょっと考えたのです。どうして体育の先生方が体育の苦手な子どもたちを、とっても配慮されているのか。

私はアメリカの子どもたちの運動能力格差というのも日本よりも大きいのではないかと感じています。だからこそ、苦手な子どもが嘲笑されたりすることのないよう先生方は気を配り、授業に参加する全員にも他の人を尊重することをより強く指導されているのではないかと。

学校外のスポーツ活動に参加し、チーム練習だけでなく、プライベートレッスンを受けている子どもたちもたくさんいます。

その一方で、学校の行事を覗きますと、走ることが苦手というか、走るという体の動きがおぼつかないようなお子さんも見かけます。遅いとか、速いといったことではなく、自分の力で(地面を蹴ったり、足を踏み出して)体をぐっと前に進めるということがあまりできていないような感じです。

私たちのところは車でどこでも移動する生活ですから、歩く機会すらあまりありません。運動に興味がない、運動嫌いな子どもだと、体を動かす機会そのものが少ないのかもしれません。学校外でスポーツしておらず、体を動かすことに関心がない子どもにとって、体育の授業は体を使う貴重な時間だと思いますし、運動に苦手意識のある子どもが恥ずかしい思いをするところであってはいけないと思います。

日本語補習校の運動会や、日本の子どもたちの様子を見ていると、走ることに遅い、速いはあっても、走ることそのものがおぼつかないといったことは私は見かけた記憶がありません。日本の生活スタイルなのか、体育の授業の成果なのか、それともアメリカほど格差が大きな社会ではないからか。それは私には分かりませんが。

とにかくうまい・へた、できる、できないが丸見えの教科の授業で、できない子どもがみんなの前で恥ずかしい思いをしないことは当たり前に必要な環境や条件だと思います。

私は自分の子どもたちが小学校低学年のときは、よく体育の授業ものぞき見していたのですが、高学年、中学の体育の授業はまだ見たことがありません。そのうち見学したいと思っているのですが、息子たちが嫌がるので、仕事として別の学校を見学させてもらおうかと思ってます。