谷口輝世子Kiyoko Taniguchi

米国在住のライター。日本ではスポーツ紙の記者をしていました。スポーツ取材が中心です。

1962年ケンタッキー大学アメリカンフットボール部での虐待、体罰

ここ数日、The Thin Thirty という本を読んでいました。

これは1962年‐63年シーズンのケンタッキー大学アメリカンフットボール部の様子を描いたもの。新任のブラッドショーコーチと他のアシスタントコーチが体罰を含む指導、虐待的な練習をしていたことが中心になっています。


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冬には80人以上いた部員が、コーチの体罰や選手の扱い方に耐えられず、次々とやめていき、秋のシーズンが始まる前には30人ほどにまで減っていきます。これがThin Thirtyというチームのニックネームの由来です。

冬の練習は時間は短いものの、水分をとることは許されず、吐きたいときにはトレーニング室の隅に吐くようにと言われ、アメフト部であるのにレスリング練習があり、壁にぶつけられた選手の血が、部屋のなかに飛び散っても練習は続行されたそうです。コーチが選手の顔面を殴るシーンも何度か出てきます。授業のために練習に参加できなかった選手は教科書を地面に投げつけられたりもしました。

このアメリカンフットボール部のコーチは、試合後の記者会見では、選手がどのような試合をしたかではなく、選手の身体がどのくらい傷ついているか、どのくらい痣ができたかによって、試合や選手を評価するようなコメントもしています。言うまでもなく、負傷個所や痣が多いほうが評価されるわけでして。

強豪高校からスカウトされてケンタッキー大のアメリカンフットボール部に入部している選手たちですから、納得いかない指導であっても、アメリカンフットボールを「やめる」ということにも葛藤があり、この練習を続ける価値があるのかどうかということに悩み続けます。コーチは学生よりも権威と権力がありますから、コーチを尊敬し、指示に従わなければなりません。しかし、どうしてもやり方に納得できない。自分の中でフットボールをする喜びが消し去られて完全にプレーする意欲を失くしてしまった選手がいます。

男子のスポーツ選手にはよくあることかもしれませんが、スポーツの手ほどきをし、サポートし続けた父親に「やめる」という決断を受け入れてもらえるかどうかを心配する選手もいたようです。

しかし、それぞれに決断をして、このコーチに元ではやっていけないと50人以上の選手がチームを去っていきます。うまく他の大学に編入し、選手としてのキャリアを積み上げた選手もいれば、アメリカンフットボール部を去って、学業に専念した学生もいました。

残った選手たちも交代要員のほとんどいない状況で懸命にひとつひとつの試合を戦っていきます。コーチを尊敬できたわずかな選手をのぞいては、コーチではなく、自分たちのために戦うのだという気持ちで。

この虐待的な練習、体罰を含む指導は選手だけではなく、多くの人が見ていたとこの本には書かれています。例えば、体罰にかかわっていなかったアシスタントコーチ、ケンタッキー大のスポーツを取材していた新聞記者、チームトレーナー、そして大学と大学のアスレチックディレクターといった人たちです。しかし、誰も暴力的なやり方を止めようとしなかったと。多くの離脱者が出た時点で全米を代表するスポーツ誌「スポーツイラストレイテッド」にもチームに関する記事が出ましたが、地元の新聞記者や大学側は虐待や体罰はなかったという弁護にまわっています。コーチは悪くない、やめた選手たちが悪いのだという論理で固めていきます。

これは50年以上も昔の話で、今はこれほどの練習は行われていないかもしれません。しかし、2013年にはラトガー大バスケットボール部で体罰を含む指導があったことが、隠し撮りビデオという告発方法で明らかになりました。62年のケンタッキー大アメフト部から何も変わっていないのではないかという指摘をしている記事もネット上にありました。50年の時代が変えたものはラトガー大バスケットボール部コーチが辞めざるをえなかったのに対して、62年のケンタッキー大フットボール部のコーチは68年まで続けていたことかもしれません。当時は体罰を含む指導に対して、それほど社会が追及し、糾弾しない、時代だったのかもしれません。

私は本を読みながら、これが日本の運動部だったらやめることさえできなかったのではないだろうかと感じました。ある大学の運動部をやめて、別の大学の運動部に編入することもとても難しいと思われます。ケンタッキー大学アメリカンフットボール部をやめていく選手たちが、地元に帰って、その地元の新聞にやめた理由をコメントしているところを読むと、日本では名前を出して意見を言うことも憚られるだろうなとも思いました。ケンタッキー大の地元紙が、コーチを擁護しましたが、大学の学生新聞はコラムという形で、コーチの指導を批判しています。これも、日本の社会では難しいことかもしれません。

血が飛び散っても続行される練習、大人が選手の顔を殴る。アメリカのスポーツ界にもこういうことがあったのです。

運動部で体罰が行われることを防ぎ、選手からプレーする楽しむを奪わないようにするためにはどうしたらいいのか。虐待されていると感じたら、どうしたらいいのか。日本人は米国人ほどはっきりとものを言いませんので、どのように告発するのか、告発した人を守ることができるのかという問題があると思います。また、大学の運動部を途中でやめた選手たちに、スポーツであれ、学業専心であれ、次の機会を与えられるのか。

この本に書かれている練習風景は想像するだけで自分の身体に痛みが走るような感覚になりましたが、日本だったらどうなっていたかということを考えると、何か背筋に寒いものを感じました。