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谷口輝世子Kiyoko Taniguchi

米国在住のライター。日本ではスポーツ紙の記者をしていました。スポーツ取材が中心です。

PTA 部活動顧問が完全に任意、自主的な活動になったら

学校へ通う子どもの保護者にとって、PTAの仕事はときに重荷になる。

はっきりと子どもや学校の役に立っていると感じられるのならば、やりがいもあるのだけど、前年通りにつつがなくこなすためだけに、役割分担表や当番表を作り、また、いったん役割や当番を任されたならば、それを何が何でもやり遂げないといけない雰囲気にもなる。重荷です。

PTAが名実ともに任意加入になったら、どれだけ気が楽か。と私も思う。

やりたい人がやれる範囲でやればいい。

今、学校運動部の顧問をしている教員の負担も問題になっている。

ツイッターなどで見るところによると、慣習的に全教員が何らかの顧問をしなければいけないようになっており、「顧問をしたくない」と発言することはとても難しいことだという。

私は部活動の顧問もできる先生、やりたい先生がやってくだされば有難いし、先生の事情(体調、家庭、考え方も含めて)でやりなくないときは無理に押し付ける性質のものではないと思っている。

さて、ここから本題。

もし、PTA加入が完全に保護者の任意になり、部活動の顧問をするかどうかも先生に実質的に選択権が与えられれば、私としてはこれほどうれしいことはない。

かなりの人たちが重荷、負担から解放されるはずだ。

とすると、その人たちが支えていた分だけ、一時的にPTA活動や部活動が停滞したり、衰退する可能性もある。それは仕方ない。

やらないという選択肢がないためにやっていた人たちが抜けることで、どのくらい停滞、衰退するかは分からないけども、今まで無理にでも支えてきてくれた人たちの大きさを思い知らされるかもしれない。

そうすると、地域の人、保護者、先生たちの中から、これはよくないと思って

自主的に立つ人が出てくるかもしれない。

そのときには、自主的に立つ人が、PTAを支えるなり、部活動を支えるときに、力を出しやすいように制度を整えておくべきだと思う。自発的に学校や子どもの活動に関わろうという人たちの法的責任、仕事の内容などを制度として整えておくべきだと思う。そして、また、それが当番制や全員同じだけの負担しなければいけない方向に逆戻りしないようにその組織内で合意し、世論を形成しておくことも必要な気がする。

本当に自主的に立ってくれた人たちは、「タダの労働力」ではなく、社会や地域の市民という名の貴重な資本でもある。

何年後に、PTAが完全に任意加入になり、先生方に部活動顧問をするかの選択権が本当に与えられるのかは分からないから、自主的に立つ人が何年後に現れるのかも分からないけど。

もし、PTAに加入するかどうか、顧問をするかどうかが後ろ指をさされることなく、完全に選べるようになったら、自主的に立つ人、自発的に活動を支えようという人が学校と子どもの周りにどれくらいいるか、その人たちの人数と意識によって、いろいろな地域格差が出てくるはずだ。

もし、自発的に活動を支えようという人がどうしても出てこない地域だと、学校と子どもの活動に影響するかもしれない。そのときは、NPOなどが別の地域の能力とやる気のある人をボランティアとして引っ張ってくることができるのか、などの課題も出てくるように思う。