親のフーリガン化を防ぐには
子どもが選手としてスポーツ楽しみ、親はスポーツ「ファン」として試合を観戦する。うまくいけば家族の娯楽となる。
しかし、もともとスポーツは「ファン」を興奮させる性質があり、それが高まりすぎると、審判や指導者、相手チームを罵るような野次を飛ばしたり、相手チームのファンとの揉め事、ケンカ騒ぎにつながることがある。
ここまでは昨日、書きました。
では、どうやったら、親であるファンが暴徒化とはいわないまでも、選手であるわが子を罵ったり、指導者に文句を言いたくなったりするのを避けられるか。
半分ジョークですが、即効性のあるものは
①試合を見に行かない
試合を見に行かなければ、観衆としてグラウンドやアリーナのスタンドに座ることもありません。
しかし、私の住んでいる米国中西部の郊外では公共交通網が発達していないので、中学生や高校生が校内でスポーツする場合を除いて、親が車を運転して、子どもを会場まで連れていかなくてはいけません。
高校生でも運転免許を取れる年齢に達していない学年の子どもは、親の送迎がないと対外試合に行くことが難しくなります。送迎の手間を考えると、練習や試合が終わるのを見届けることが多くなります。
②親がチームの一員になってしまう
たいてい子どものスポーツでは親のボランティア活動が求められます。チームそのものを運営するコーチ、アシスタントコーチ、会計やユニホームの発注などを担当するマネジャー、用具の管理、スコアや計測係です。
高校生選手の親たちも入場券の販売や飲み物、お菓子の販売からスコア係などいろいろ仕事があるそうです。
選手でなくてもチームの一員になってしまえば「ファン」ではなくなりますから、異常に興奮が高まる、子どものプレーにイライラすることをある程度、抑止できると思います。
③ 応援するときは他の観衆とともに応援する。
私の恩師である杉本厚夫先生は「日本のプロ野球などの私設応援団は、実はファンの興奮を鎮めるものである」としています。儀礼化した応援形態のなかに、鎮めの文化がビルトインされているそうです。
純粋にスポーツを楽しんでいないのではないかという思いが、私自身にもあるのだけれど、他の選手の保護者とともに「儀礼的に応援する」ことで興奮の暴走を避けられるかもしれません。
ただし、他の保護者と選手である子ども個人のことを試合中に話題に挙げるのは「応援団」内の分裂を引き起こす恐れがあるかもしれません。それこそ、ママ友間のいざこざに発展する恐れがあります。
④子どもが観客のいないところで、ただ遊んでいると思うようにする。
子どもがただスポーツを、草野球、草サッカーのように、親の目のないところで遊んでいるのだと思いこみます。昨日、書いたように子どもを「選手」と見ずに、「子ども」であるという視点で、スポーツを眺めるようにする。
善悪の問題でなく、個人的には、子どもと他の人の迷惑にならないのであれば、子どもの試合に激しく興奮することも、アリだとは思いますけれど。