家族の娯楽としてのスポーツ その落とし穴

スポーツが家族の娯楽になるとき

 子どもはスポーツをすることを楽しみ、親は子どもが選手として活躍することを見て楽しむ。

 穏やかな家族なら、親がフーリガン化することもないだろうし、子どもも親の援助のもとスポーツに打ち込める。スポーツが家族の娯楽となり、申し分のない状態と言えるだろう。

 しかし、この幸せそうな家族の光景を崩す落とし穴がひとつある。それは、子どもがスポーツへの情熱を失うことである。

 最近、読んだもののなかに、大変、才能に恵まれた女子バスケットボール選手の話があった。すでに中学、高校時代から注目されていた選手で、いくつもの大学からスカウトが来て、奨学金を得て進学することが決まっていた。あとは、大学でプレーするのを待つばかりという時に、彼女は「バスケットボールをしない」という決断をしたという。

 彼女は、実は中学生ごろから、バスケットボールをすることに興味を失い始めていたけれど、彼女自身のバスケットボールの活躍が、家族の大きな楽しみだったので、言い出すこともできないまま、彼女自身も自分の気持ちをだましだまし続けてきたというのである。

 私の身近でも、多くの親と子の目標である大学の奨学金をもらえると決まった時点で、スポーツを止めてしまった子どもが二人いる。

 親が関わらなければ、子どもがスポーツを続けにくい状況にあるアメリカでは、親向けに書かれたスポーツ指導本やスポーツ心理学本が多く出版されている。

 これらの本では、燃え尽きてしまうバーンアウト状態になったり、指導者がプレーの失敗を叱るなどの結果「スポーツは楽しくないもの」と感じると、途中でスポーツを止めてしまうことにつながるとしている。そして、それを防ぐための手段や指導法がいろいろと述べられている。

 とても功利的な私は思う。

子どもにスポーツを続けて欲しいために、つまりは、親が成長した子どものスポーツをする姿を見たいがために、親として試合を観戦しているファンに起こりやすい感情を抑えて、子どもが燃え尽きて途中で辞めたいと言い出さないように、叱ったり、罵ったりしないようにしているのではないかと。

 そして、たとえよい指導者にめぐりあい、理解ある親を持っても、途中でスポーツを辞めたくなることは起こりうる。大人だって長年の趣味から離れたくなることもあるのだから。