楽しむこと
何年も前、アトランタオリンピックのころだろうか、名の知れた女子水泳選手が大会前に「楽しみたい」というような発言をしていた。
確か、私が見たのは、当時、久米宏やっていたニュース番組で、久米さんの問いかけに対し、女子水泳選手はマスコミの取材にうんざりしたような尖った表情で「楽しみたい」というような発言をしていたように記憶している。
当時、若かった私も「がんばること」や「何が何でも勝ちに行く」ことよりも「楽しみたい」という言葉のほうが、何となくおしゃれな感じがした。その言葉と彼女の表情とのギャップは今も覚えているほどだけれど。
ここからは全て私の推測だ。「楽しむこと」や「PLAY(遊ぶ)する」ことが、日本のスポーツ界に入って来たのは、下に書いた時期だったのではないかと、アメリカに暮らして思うようになった。
?スポーツ選手が米国人のコーチをつけたり、米国でトレーニングすることが増えてきた時期。
?試合でより高いパフォーマンスを出せるように、スポーツ心理学が競技選手に取り入れられるようになった時期。
たぶん、1980年代のあたりかもしれない。日本もバブル経済時代で、すでに「がんばり」の時期が終わっていたし、「楽しむ」ことを受け入れられる下地が出来上がっていた。
アメリカのコーチたちは子どもを指導するとき「一番、大事なのは楽しむこと」と言っている。勝ち負けにこだわらず、試合することを楽しめたら、その日はよしとする意味だろう。
私の身近な親たちも試合前には「楽しんでおいで」と送り出し、帰りには「楽しかった?」とまるで判で押したように聞いている。
もしかしたら、代表のスポーツ選手たちも、誰かから「大事なのは自分自身が楽しむこと」といわれたのかもしれない。
これまで「大事なのは頑張ること」だと考えて練習してきた選手たち。しかし、もはや「お国のために勝つ」なんていう大昔の発想は持ち合わせていない世代だし、「頑張る」のも何となくスマートさに欠ける。
選手たちは「大事なことは楽しむこと」に惹かれたけれど、それを消化できないまま、どこか不自然に自分の気持ちに「楽しむ」ことを接木したのではないかと思う。