いわゆる貧困地区と子どものスポーツについて

スポーツと人格形成 その3

 少年スポーツは子どもの人格形成に役立つのか? スポーツをしているといい子になれるのか。3日前、4日前にこんなことを書きました。

 今、米国で、もっともスポーツを子どもの成長に役立てようとしているのは、インナーシティと呼ばれている、やや治安の悪く、経済的には恵まれない暮らしをしている地区に関わる大人たちだと思います。
 
 メジャーリーグには「RBI」というプログラムがあります。これは、インナーシティの子どもたちに野球の試合をさせるものです。

 何年か前のテレビコマーシャルでは、マイノリティの少年たちが廃れた広場に集まっており、今にも一触即発というケンカが始まろうかという場面で、彼らがユニホームを着て野球をする場面に切り替わります。

 ケンカの代わりに野球をしよう、ということです。

 私が取材したデトロイトNPO団体でも、多くのスポーツ種目のリーグを運営していて、大人たちは「子どもが、責任ある社会の一員になれるように助ける」というスローガンのもとで活動しています。

 数日前に書きましたが、100年ほど前に組織された少年スポーツは、急激に工業化した時代の家庭のしつけを補うものとされた過去があります。

 今は、インナーシティーに住む子どもたちの家庭生活を補うものとしてスポーツが活用されているというわけです。

 裕福でない家庭は、両親が共働きでベビーシッターなどを雇えず、子どもの面倒を見ることが十分できなかったり、経済的な理由から子どもに習い事としてのスポーツをさせられなかったりします。

 NPOでは、プロスポーツからの寄附や企業、個人からの寄附金で運営されていて、子どもたちのスポーツ参加費を、民間や郊外の市が運営しているプログラムの、約半分程度に抑えています。

 家庭のしつけを補う一方で、私が取材したNPOのプログラムではプロ選手も輩出しています。しかし、彼らはそのことをあまり強調しません。

 子どもたちがスポーツに熱中するとき、多くの子どもが、将来、プロ選手として活躍したいという夢を描きます。

 しかし、インナーシティの子どもを指導する大人たちには懸念があります。

 貧しい生活から脱出するためにはプロ選手になって一攫千金するのが最良の方法と子どもたちが思い込み、自分のスポーツの実力という現実を見ずに、勉強もせずに、そして大人になってしまうことです。

 ときには家族も、発達途上の子どものわずかばかりの才能にすがりつくケースもあるようです。

 だから、大人たちは「スポーツを通じて責任ある社会の一員になること」を活動の目標に掲げます。

 私はこのNPOのプログラムに参加していた中学生の女の子に「このプログラムのこと知っている?」と聞きました。

 彼女は「何も知らない。私はただプレーしているだけだから」とぶっきらぼうな返事。それが、とても清清しいものに感じられました。