スキップのできない小学生
少し前に分数のできない大学生という本が日本で話題になったようです。
私の身近には、スキップのできないアメリカの小学生が何人かいます。小1の20人学級でスキップのうまくできない子どもが4−5人います。
分数ができない大人が増えると、日本の経済、産業に暗い影を落としそうですが、スキップができないことは、国の未来には特別に影響しそうもありません。
ところがそうでもないようです。
私は今、子どもの通う小学校で、スキップができるよう、簡単なキャッチボールができるよう、トンネルくぐりができるよう、見守るというボランティアをやっています。
このほか、平均台を歩かせたり、バランスボードに乗って玉入れをさせたり、トランポリン上でジャンプさせながら、2の倍数や5の倍数をリズムに合わせて暗唱させるなどします。
校長先生によると、体を交差させるこれらの動きは「科学的に子どもの学力向上に役立つ」とされているとのこと。
目で文字を追うこと、文字のかたまりを言葉としてとらえて読んでいくことや、体を動かしながら、脳を使うと脳の発達によいというのが校長先生の説明でした。
少し前ならば、遊びのなかで自然に会得できていなはずの動きですが、今は学校で時間を割いて教えなけれなりません。学力と関係があるとなれば、学校も無関心ではいられません。
子どもの体力や器用さの低下は、今に始まったことではありません。1971年生まれの私の世代では、ナイフでエンピツを削れない、りんごの皮むきができないなど、手先の不器用さが指摘されていました。
社会の変化に伴って、人間のできること、できないことも変わってきます。私の親世代は、パソコンのキーボードや携帯の早打ちは得意ではないでしょうし。
今、アメリカで最も外遊びできないのは、この幼稚園や小1といった学年の子どもたちです。
日本なら、ちょうど子どもたちだけで外遊びを始める年齢なのでしょうが、アメリカは防犯意識が強く、大人の付き添いなしで外遊びさせるのは「良くない」という風潮が強いのです。
しかも、一部の大都市を除いては、ほとんどが車で移動するので、歩く機会さえも少ないのです。
このことと、スキップの苦手な子どもが何人かいることと、全く無関係であるとは思えません。
私の子どもの子どもの世代は、学校で何を教わってくるのでしょうか。校内でかばんを背負って100メートル以上歩く訓練なんてことになっているかもしれません。
星新一のSF的世界はもうすぐそこにあるような…