私はケチです。
もともとは倹約家ではなく、独身のころには「あるだけ使う」ということをやっていました。外に出る仕事だったため、飲食に相当のお金を使っていました。
ところが、子どもが生まれて仕事を減らしたため、自分が自由に使えるお金が減ってしまいました。そのあたりから急にケチになっていきました。ケチ歴約10年です。
今は、倹約しながらも楽しめる場所を探します。公共図書館、緑の多い公園、公共プール、子どもの衣料などは慈善団体運営のリサイクルショップ(サルベーション・アーミーです)か、ガレージセールで買います。また、子どもの成長に伴い、不必要になったものはこの慈善団体のリサイクルショップへ寄贈しています。
近所の公共図書館にはほぼ毎日“出勤”している状態なので、年に1度、とても小額ですがお礼の気持ちで寄附しています。この図書館はとても広く、自習スペースが確保されていて、自分のパソコンを持ち込んで勉強や仕事ができるようになっています。
私たち世帯が納めた税金で、公共施設が運営されていると思うと、ひねくれものの私も「誰かのマーケティング戦略にのせられているのかもしれない」などと考えることなく気持ちよく使っています。スイミングプールやスケート場はお金を支払って入場しますが、それも施設維持のために必要なものなので、お金を使うことにはあまり罪悪感を感じません。
米国人が2006年(リーマンショック不況の前です)に書いた本で「NOT BUYING IT」というものがあります。http://www.amazon.com/Not-Buying-Year-Without-Shopping/dp/0743269357
年収4万ドル強、ジャーナリストで独身女性が1年間、いかに買い物をせずに暮らしたかという記録です。これまで買い物、贅沢大好きだった彼女が買い物したい気持ちをこらえ、どのような変化をたどっていたかをつづっています。
ペーパーバック版の最後には彼女がインタビューに答えて、このように話しています。「買い物をしないことは内向きになるのではなく、むしろ私を外へ向かわせた。図書館、ストリートや山へと向かわせた」。
しかし、公共の図書館は早い時間に閉まったり、公園にはゴミが多かったりしたそうです。「人々が買い物で無駄遣いしているお金で、公共のものをよりよく出来るかもしれない。もしかしたら、長期的にはそのことが私たちをより幸せにしてくれるかもしれない」としています。
これから日本も、たぶん、アメリカも好景気に沸くということはしばらくやってこないと思われます。
日本でも、地方自治体の行政では、ムダをなくすために公共施設が閉鎖されるなどのニュースも耳にします。アメリカで、私の身近なところでは、貴重な仕事スペースでもある図書館が開館時間を短縮するなどしています。
しかし、不景気のなかで、みんなが倹約生活をするときこそ、公共施設は必要なものだと思います。倹約ばかりで遊ぶところがないと息抜きできません。顔も知らない経営者や株主にお金が行ってしまうのではなく、うまく地域のなかでお金が循環するとよいと思うのですが、ケチな主婦の甘い考えなのでしょうか。