私は子どもが生まれてからしばらくの間、紀行文や旅行記を好んで読んでいた時期がある。
子どもを出産するまで、スポーツ紙の記者として日本の各地の球場や、メジャーリーグ担当になってからは米国内の各球団を旅してまわっていた。
子どもを産んでからしばらく、出張のある仕事をお断りしていた。正確に言うと、初めての子どもを産むちょうど1年前に、米国内出張中に流産してしまったことがあり、それ以降、出張はしていなかったのだ。
しかし、生活をがらりと変え、適応するというのは簡単なことではなかった。どこかへ行きたい気持ちがどこからともなくわいてきた。家のことをするといっても、何が家のことなのかもよく分からないまま。家にいる自分を持て余した。
どこへも行かなくなった私は、本を読むことでどこかへいった気分にひと時でも浸ろうとした。
司馬遼太郎さんの本は、偉いおっちゃんの博学に裏打ちされた講釈を聞きながら後ろをついて歩いている感じ。
辺見庸さんの「もの食う人々」は共同通信のエース記者の仕事を舞台のそでから見ている感じ。
他にも文化人類学者の西江雅之さんの紀行文なんかを読んでいた。
何か月か前と、ついさっき、

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近藤さんとは、世代が同じだ(私のほうがいくつか年上らしい)。、
読んでいるうちに今までの紀行文とはちょっと違う感じがしてきた。「そういうのアルアル」とか「そうやねんな…」と近藤さんが旅で感じていたことが、そのまま私の感覚としてすーっと入ってくる感じがした。
CCBとか、ダウンタウンの松本などという表現も、パッとイメージが浮かんできて、松ちゃんとの会話が私の頭の中でも自動再生されていた。日本で貯金していったという貯金の金額もリアル!
私も取材をして原稿を書くという仕事をしているせいか、文中に書き込まれている仕事への迷いや、行間からうかがえる、これは記事になるな、という興奮も「ほんま、ほんま」と相槌をうつところも多かった。
近藤さんの体をかりて、私が旅をしている感じが十分に味わえた。読んだ後、自分もオーストラリアのドライブで疲れたり、中国のアパートでトイレにいった気分になった。同世代の優れた書き手のおかげで、いくつかの感覚を共有させてもらったと思う。
私もどこかへ行くことができればいいのだけれど…。世の中には、家庭の事情や金銭面、体力面の不安などで旅に出ることのできない人のほうが圧倒的に多い。
そんなときに旅に連れていってくれる本はありがたい。読み終わって、また日常生活に戻らなければいけないとしても、旅の途中の高ぶりとすっきりした感じを味わうことができれば、家から仕事へ通い、子どもを学校へ送り出す、そんな毎日を暮らしていける。