今日もまた、平尾さんの「耳でものが見えるのか」の感想文を書いてみたいと思います。http://www.mishimaga.com/chikakute/013.html
子どもの遊びも「耳で見る」種類のものが減ってきているのではないでしょうか。鬼の役が目をつむって、その間に隠れる「かくれんぼ」、どこかにタッチしたり、気配を察して逃げたり、追いかけたりといった「だるまさんがころんだ」、後ろの正面をあてる「かごめかごめ」のような遊びは、あまり見かけません。「もーいいかい」「まーだだよ」というのは2人の人間によるエコロケーション?!!
子どもたちに見られていないと不安、見えていないと不安、誰かに見つけてもらえない不安が広がっているのかも…。
うちの子どもたちも友達とかくれんぼをしていますが、なぜかいつも家の中。友達はよその家で隠れ場を探すのが楽しそう。狭い我が家だと、見られていない不安、見えていない不安がかなり軽減されるのかもしれません。
私の大学時代の恩師、杉本厚夫先生が『かくれんぼができない子どもたち』をお書きになっています。
- 作者: 杉本厚夫
- 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
- 発売日: 2011/01
- メディア: 単行本
- 購入: 4人 クリック: 57回
- この商品を含むブログ (5件) を見る
この本には「耳で見る」ということには直接、言及されていませんが、子どもの社会と身体遊びについてと、具体的な遊びのプログラムが紹介されています。おすすめです。
実はこのブログを書くまでは次のように思っていました。
身体にとっては危うい感じがするのだけど、今の時代は「耳でみる」子どもたちが少なくなっても、仕方ないよな~。
さすがに歩きスマホは危ないので、やってほしくないけども。
忍者になるのではないのだから「背後の気配を察する力」が高校入試で問われるわけでもないし、日常生活でも使わない。PC、スマホとこれだけ発達してるのに、10年先、20年先も「耳で見る」力なんかなくても生きていけるんだろうし~、と思ってました。
でも、ラグビー選手は「耳で見て」「背中で感じて」チームメートを信頼してパスをつないでいるのだと思います。
そして、ダニエルさんは、自分の身体感覚を信頼しているから「エコロケーション」ができるのだと思います。
先日、ツイッターで教えていただいたブラインドサッカーの体験談にも「友達を信じれば大丈夫なんだなあ」とのコメントが掲載されてました。http://supoiku.b-soccer.jp/cases/
「まーだだよー」「もーいいよー」の声の出どころを探って、狭い隙間や犬小屋の後ろや木の茂みへ入っていった昔。数を数えて振り向くと、さっきまでいた友達の姿はさっと消えてしまってけど、声はあの辺から聞こえている…。
何らかの信頼なくして、耳でものを見ることはできないのではないか?
なんだかはじめに書こうと思ったのと、全然違う感想文になりました。