米国はスポーツ大国で、プロスポーツ、大学スポーツが巨大なビジネスになっていることはよく知られていることだと思います。お金を払って試合を見る人がおり、お金を払って放映権を買い取る会社があります。プレーをする選手だけでなく、指導者、スタッフなど多くの人が、スポーツで食べています。
プロや大学スポーツだけでなく、高校スポーツにも多くの予算が割かれています。公立高校のスポーツ活動は、選手が年間参加費として学校区に収める数百ドルのほか、試合を観戦に来る人が支払う入場料(だいたい5ドル程度)、学校区の教育予算、スポンサー、保護者が運営する売店などによって支えられています。
このお金で日本の公立高校にはない、アスレチックディレクターという全運動部を総括する管理職を雇い、指導者にも少ないながら報酬を支払い、アスレチックトレーナーを雇用し、グラウンドを維持し、用具を購入しているのです。
奇妙なのか、アメリカらしいのか分かりませんが、学校区や市の教育予算の分配が、かなり高校スポーツに偏り過ぎているという現実を抱えている地区がありました。
米国の地方都市や学校区のなかには、リーマンショック後の不況で、財政が厳しくなり、教育予算を節約するため、学校を統廃合したり、音楽や美術などの専任教員を雇わなくなったり、理科室を閉鎖しているところがあります。(私の住んでいるところも2010年に学校が統廃合されました)
教育予算の削減は、学校の授業そのものに影響を及ぼしているのに、高校スポーツは削減の対象になりにくいようでした。私の見聞きした範囲では、これまで無料だったのに生徒側が参加費を支払うことになったり、その金額が値上げされたりといったことはあったようですが…
このザ・アトランティックの記事http://www.theatlantic.com/magazine/archive/2013/10/the-case-against-high-school-sports/309447/
ではテキサス州のある学校区での予算の配分について書かれています。フットボール部の生徒に対してはひとりあたり1300ドルかかっているのに対し、数学の授業ではひとりあたりのコストは618ドル。フットボールでかかる費用は、指導者の報酬、試合の審判に支払うお金、スポーツ保険、用具などです。
この学校区では、高校の全スポーツ活動を一時的に停止するだけで15万ドルが節約できることが分かり、よりよい授業、例えば小学校に音楽の教員を雇うことができるということになったそうです。
そこで全スポーツ活動を停止に踏み切りました。
生徒たちは、最初は到底受け入れられなかったとのこと。生徒たちにとっては一度しかない高校時代であり、スポーツする場を学校外に求めなければならなくなりました。生徒のなかにはスポーツができる学校へ転向していった人もいるそう。一部の指導者もよその学校へ移っていったようです。
ただ、これまでの学校生活がスポーツ中心になっていたのが、学業に重点を置けるようになったというメリットはあったみたいです。
スポーツにお金をかけている場合ではない。もっと、学業にお金を投入するべきだという声もあります。もうひとつは、格差社会の米国では、予算の厳しい学校区ほどスポーツ活動でも不利になるという現実があります。 各家庭レベルでは、スポーツにはのめりこまず勉強に励んでいる子どもたちも少なくありません。
アトランティックのこの記事はわりと反応があって、これに対する反論の記事も出ています。また、書きます。