米国学校スポーツとハンドブック

 昨日、ツイッターでつぎのようなことをつぶやきました。

 このようなハンドブックは、保護者に向けたものだけでなく、学生向け、指導者向けのものもあります。(どちらかというと学生向けが中心です)

 米国の学校においてハンドブックがどのような役割を持っているのか。これまで、私が調べて、わかったことを書いてみます。

 まず、運動部ではなく、学校が配布しているハンドブックについてです。 

 私の子どもが通うミシガン州デトロイト郊外の学校区でも、毎年、年度のはじめに「Student Code of Conduct」というハンドブックが配布されます。児童、生徒の責任、守らなければいけない規則、違反時の処分、懲罰についての詳細が(こまかい字でぎっしり)30ページわたって書かれています。

 児童・生徒が規則に違反する行為をしたときには、事前に配布しているこの基準に沿って、罰を課すということです。具体的にはどのような規則違反のときに、停学処分にするかなどが書いてあります。

 また、学校区で作成されたハンドブックをもとに、学校区内に複数ある中学校や高等学校でも、各学校の状況にあうように独自に冊子や印刷物で規則、懲罰、ドレスコードなどの詳細を示したものを配布しているようです。

  この責任、規則、懲罰を明文化したハンドブックは、全生徒を対象にしたものだけでなく、運動部員とその保護者、運動部の指導者を対象したものもあります。これがツイートしたテキサス州の保護者向けハンドブックです。これは州の高校運動部協会のようなところが作っているもので、このハンドブックを基準に、各校ごとにそれぞれの事情にあうものを配布しているのではないか私は推測しています。 

 私はちょうど2年前の1月、隣市の高校運動部の運動部統括責任者であるアスレチックディレクターに取材させていただきました。取材前の準備は、同校のホームページから運動部に所属する学生と指導者向けに作成している40ページもわたるハンドブックをダウンロードすることから始めました。

  ハンドブックには運動部内における生徒間のしごきやいじめの禁止や、トライアウトについての説明。フレッシュマン(1年生)や二軍チームでは、育成の目的でチームを運営していくこと、主に上級学年の選手で編成される一軍チームでは勝利を目指して運営していくことなども書かれています。規則違反に関する懲罰(運動部での活動停止処分など)についても明記されていました。

  一方、運動部の指導者にむけたハンドブックでは、生徒への声かけなど、どのような指導をするのがいいかなどがびっしり書かれていました。

  2年前、このハンドブックを読みながらも、私は、今ひとつ「ハンドブックの位置づけ」が分からなかったのです。

 先月『アメリカ合衆国における学校体罰の研究』(片山紀子著・風間書房)を読みましたところ、一節を割いて詳しい説明がしてありました。(かなりの値段がしますが、私には値段以上のものがありました)

アメリカ合衆国における学校体罰の研究―懲戒制度と規律に関する歴史的・実証的検証

 ハンドブックの変遷についてですが、もともと大学で作られていたハンドブックが、高校でも就学者増のために作成されるようになったこと。しかし、1915年の時点では全米でハンドブックを作っている学校はごく少数であったこと。1950年代ハンドブックを持つ学校が多数になっていたが、まだ、懲罰の具体的な書き込みなどは少なく、学校管理者の裁量に委ねられることが多かったようです。

 体罰とハンドブックの関係について。米国でも1970年ごろまでは、ニュージャージー州を除く全ての州で学校で体罰を課すことが認められていました。しかし、70年代以降、法律で禁じる州が増えていきます。体罰を廃止し、ほかの方法で学校の規律を維持していくという流れに変わります。そういった時代背景のなかで、これまで親代わりに罰を課してもよいと考えられていた教師の役割や権限が不明瞭になりはじめました。そのあたりから、主に理念や規則だけを記したものだったハンドブックの役割が転換していったというのです。教師の権限をはっきりさせ、生徒にも規則を守る義務があることを示し、違反行為には、ハンドブックであらかじめ定められている罰を課すということになっていったのだと思います。 

 70年代にはいり、学校体罰廃止の流れとともに、学校での問題は司法の場にも持ち込まれるようになり、司法に耐え得るハンドブックへと変換していったそうです。

 学校側が司法の場で自分自身を守るためでもあり、また、教師や指導者が自分の権限の範囲をはっきりと知ることで、何かを訴えられたときに、自分の身を守るためのものでもあるということでしょう。

  ツイートしたテキサス州のハンドブックもそうですが、運動部の生徒や学生、また保護者を対象にしたハンドブックでも、運動部の運営方針を明らかにし、熱中症の危険が高まる天候や雷発生時、脳震盪を含むケガの対応などが司法に耐え得るように書かれているのだと思います。ドーピングや薬物使用違反についての項目もありました。

  指導者向けのハンドブックにも、生徒の前で飲酒や喫煙してはいけないことなどが書かれており、どのような指導(例えば、プレーのミスを戒めるために生徒を叩く)が違法、または学区内の定めた規則違反になるかが分かるようにしてあります。

   昨年、アイオワ州の高校では、指導者から罰として走らされた生徒が、罰として走らされたが、これは学校の規則違反である、身体活動の強要にあたる、と訴えました。これもハンドブックに基づいての訴えでしょう。学校側の調査の結果、結局、ランニングを罰として課した指導者は辞めました。

 私は、選手も指導者も、運動部活動の規則に合意したうえで、運動部を運営するのは「お互いのやりやすさ」が得られてよいと思っています。しかし、数十ぺージにもわたり、詳細をすべて明文化して、それに従うことは「強制されている」「しんどいこと」「めんどうなこと」につながる恐れもあるのではないかと思っています。

 こうしたハンドブックの作成には、生徒、指導者、保護者、学校管理者がともに話し合ったうえで作られる必要があると思います。それであってこそ、生徒側は遵守する責任を負うことができます。

  それで、冒頭の保護者向けハンドブックに話を戻します。なぜ、大学でプレー続行できる人数や、プロ入りできる人数が冒頭に書かれているのか。それは、うちの子どもが奨学金をもらって大学にいけないのは、コーチの指導が悪い、十分な出場時間を与えられていない、などの苦情を学校に持ちこむ人がいるからではないのか、と私は考えています。

 「まず、ハンドブックを見てください。あなたの子どもの運動能力が劣っているのではないのです。指導者の指導が間違っているのではないのです。奨学金を得て、大学に進学してプレーできる生徒は少ないですし、プロになれるのはもっと少ないのですよ」と釘をさすためでもあるのでしょう。

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