今日、ツイッターでこんな書き込みを見ました。
Mass. HS shifts from no-cut to cut policy for sports. http://t.co/lAbl74bElh
— Bob Cook (@notgoingpro) April 11, 2014
マサチューセッツ州にある高校運動部は、ノーカット(全員入部)の方針だったのを、カット(人数制限するため、競技優秀でない選手は入部できない)する方針に変更するという話。まだ、試験的にトライアウトによるカット制を導入している段階で、人数の多かった男子バスケットボールと女子バレボール部で選手のカットがあったそうです。この学校の運動部管轄責任者のアスレチックディレクターがリタイアされ、新しい人が就任する時期でもあったことから、方針変更につながったよう。
このツイッターに張り付けてあったのはボストングローブのこの記事
To cut or not to cut? Hudson weighs the question for its athletic teams - West - The Boston Globe
米国の高校運動部でもトライアウトで選手をカットしない高校があったのかと思って読んでいるとマサーチュセッツ州の高校体育協会?(統一された訳語が分かりません)のコメントが出ていました。
高校体育協会?の人は「州内に正式に選手をカットしないポリシーを設けているところは知らない」。「指導者が世話をするのには、あまりにも生徒の人数が多すぎるでしょう」とも言っています。
もちろん、高校の規模が小さいときは、入部してくる選手が多すぎるということはなかなか起こらないので、カットする必要がないケースもあります。
アメリカンフットボールは練習の人数も必要なので、カットをしないところも多いようです。
その他、陸上競技などの個人競技は多くの選手を抱えても、試合出場制限が少ない種目なので、カットしないで全員を受け入れることが一般的なようです。
なぜ、カットが必要と考えられているのか。この記事と私が普段見聞きしていることから箇条書きにしてみたいと思います。
①人数が多すぎると、目が届かない。人数が多すぎると、試合に出場する時間の少ない選手が出てくる。つまり、補欠選手を多く作ってしまうということ。
②入部のハードルをあげて、より競技力のあるチームを作るべき。
③ポジションは与えられるものではなく、自分で勝ち取るもの。
ボストングローブに掲載されている高校男子バスケットボールコーチの言葉。「私は現実世界のシナリオと関連づけたいのです。申込みをしたからといって仕事が得られるということがあるでしょうか」
大人になって仕事を探そうと思ったら、勝ち抜いていかないといけませんから、その現実に適応できるように、ということですね。
この③については、以前にもこのブログで紹介したことがあって、米国人の保護者は子どものスポーツに何を期待しているかということでも書きました。
米国のスポーツ少年、少女の親は何を期待しているのか。 - 『子どもがひとりで遊べない国、アメリカ』(生活書院)
保護者も、将来、仕事をするうえで勝ち抜いていくためのいい経験、いい練習になると考えているようだということです。
運動不足になっている中高生が多いことが問題視されていることもあり、米国内には、せめて二軍だけでも全員入部できるようにしたほうがいいという議論や、高校生にレクリエーション活動の場をという要求もあります。
私は以前から疑問を感じているのですが、学校運動部は、参加選手が参加費を支払うとはいえ、学校区の予算が割かれています。トライアウトに合格してチームに入ることができた選手だけが、運動部のために割かれている予算の恩恵を受けられるというのは不公平感がないのかなということです。
でも、米国は能力主義だから、そのへんはみなさん割り切っているのかもしれませんね。
私の取材した高校では「クロスカントリーなどのカットのないスポーツもありますから」というお話でしたので、種目は選べないかもしれないけれど、何らかの運動部には入れるということでスポーツする権利を保障しているのだろうと思います。
能力主義と勝ち抜きの米国。
日本の学校運動部が理不尽な働き方を要求する企業でも文句を言わず働ける人を育てられるように、理不尽な練習や起用法があるのかも、というのは私の考えすぎでしょうか。