私は以前からメジャーリーガーたちが、米国出身の選手だけでなく、日本や中米の出身の選手が少なくないことに興味を持っていました。
10年前には
という本を出しています。
それからも、国際大会で戦う選手であっても、国や地域によって、選手たちがどのような状況下で育ってきたのか、育成されてきたのかということに関心があります。
本来ならば、いろいろな国を回って、子どもたちがどのように練習をし、指導者や保護者がどのように関わっているのかを見たいのですが、旅費という経済的な事情などから、なかなか実現しません。
いつも取材させてもらっているデトロイトタイガースの選手に少し取材をしました。ツイートしていますので、そちらを貼り付けます。
米国生まれ、育ちのリック・ポーセロ投手。
先日、タイガースのリック・ポーセロ投手に話を聞きました。ポーセロはヤンキースの田中投手と同じ88年生まれ。高卒からプロ入りし、すぐにメジャーに昇格。ポーセロは高校時代に完全試合を達成していますが、そのときの球数は77球でした。続く
— Kiyoko Taniguchi (@zankatei) April 28, 2014
これは米国の高校生の試合が7回制であるから、この球数なのです。ポーセロ投手は「1試合に100球以上投げたということはほとんどなかったと思う。高校のときは週1回ペースで登板していた。登板間隔や休養日の規定があったかどうかは忘れたけど、規則はなかったと思う」との話でした。
— Kiyoko Taniguchi (@zankatei) April 28, 2014
ポーセロ投手には高校時代の話を聞いています。学校単位での野球チームはシーズンが春先から夏までの数か月しかありません。残りの期間、ポーセロ投手は優秀な選手ばかりを集めたトラベルチームで野球をしています。ポーセロは「サマーチーム」と表現していました。ポーセロ投手が高校の野球部オフの期間にプレーしていたトラベルチームでは、プロ選手を何人も輩出しているようです。
ドミニカ共和国出身のアル・アルバカーキ投手にも、子どものころの話をちょっと聞いた。ドミニカでは内野手だったのだけど、カブスが投手に転向するなら今すぐ契約するということで、16歳でカブスとマイナー契約。
— Kiyoko Taniguchi (@zankatei) 2014, 5月 8
ドミニカ共和国の野球選手の育成には Buscones という肩書の人が大きな役割をはたしています。この肩書の人がプライベートアカデミーを運営していたり、選手を指導しながら、メジャーリーグ球団への売り込みをします。選手がメジャーリーグ球団と契約した際に、契約金から一定の割合をもらっています。
こちらの英文記事にどういう仕事をしているのかが紹介されています。http://usatoday30.usatoday.com/sports/baseball/2009-03-27-buscones-side_N.htm
ドミニカ共和国の少年野球は、ユースチームを所有しているオーナーがいて、プライベートアカデミー経営者でもあり、メジャーへの売り込み人でもある。アルバカーキは9歳のときから、そういうチームでやっていると。普通は寮も持っているのだけど、アルバカーキは家が近かったので通っていたそう。
— Kiyoko Taniguchi (@zankatei) May 8, 2014
16才でカブスとマイナー契約したアルバカーキ投手は、最初から投球数に制限をして投げていたという。ただし、マイナー時代は、ひじや肩の故障が多かった。
— Kiyoko Taniguchi (@zankatei) 2014, 5月 8
ベネズエラ出身、昨年のア・リーグ防御率1位アニバル・サンチェス投手
アニバル・サンチェスは16歳でアマチュアフリーエージェントとしてレッドソックスと契約。マイナー時代の05年にトレードでマーリンズへ。06年に22歳でメジャー昇格という経歴。今、30歳。昨年、防御率のタイトルをとってます。
— Kiyoko Taniguchi (@zankatei) April 24, 2014
デトロイトタイガースの先発投手でベネズエラ出身のアニバル・サンチェスに子どものときの話を聞いた。 「ベネズエラは日米のように高校野球部がないので、学校外のチームでプレーしていた。1試合にどのくらいの球数を投げていたが覚えていないけど、それほど投げさせないようにしていたはず」
— Kiyoko Taniguchi (@zankatei) April 24, 2014