在外日本人の私とSNSについて

 ここ数日、ツイッターで何度か「在外日本人」という言葉を見ました。

 この言葉がツイッターで回ったのはこちらの記事がきっかけだったようです。

「在外日本人」に気をつけろ! - SNSでの出会いを「落とし穴」にしないために(みわよしこ) - 個人 - Yahoo!ニュース 

 この記事を読んで「在外日本人とSNS」とキーワードをいただいたのですが、今から私が書くことは、ヤフーのこの記事とはほとんど関係がありません。また、この記事や他の文章、どなたかに対する意見、批評や反論ではありません。私自身が注意すべきことと、ネットのコメント欄やSNSについてです。

 例えば、日本在住の人が日本語で、日本在住の読者に対して、

「日本の学校ではバナナは遠足のおやつには含まれません。日本では遠足のおやつは200円までと決まっているのですが、バナナは200円の中には含まれず、弁当扱いで遠足に持っていくことが許されています」

 という内容のことを全国へ向けてネット上で発表したとします。 

 そうすると、恐らく日本全国から似たような事例とともに、多くの異なる事例が寄せられると思います。「自分のところもそうだ」「自分のところの学校は遠足におやつは持っていかない」「友達の学校はおやつの予算が500円だった。バナナはおやつと見なさず、弁当として持っていけます」などなど。同じ事例や異なる事例がたくさん挙がってくるはずです。

  例えば、〇〇国に住む在外日本人が、日本人の読者に向けて日本語で「○○国では、バナナは遠足のおやつに含まれません。そもそもバナナは遠足に持っていってはいけないことになっているのです」と発表したとします。

 この場合も、日本に住んでいる日本語読者も、感想や意見を書き込むことはできます。ただ、身の回りで同じ事例や異なる事例があったかどうかといった内容を書き込むのは、日本語で読み書きができる人で、〇〇国出身か、現在も住んでいるか、過去に住んでいた経験があるか、もしくは〇〇国に知人や友人がいる人か 情報を現地語で入手している人や研究している人たちではないでしょうか。(もっとあるかもしれませんね)

 昔は在外日本人は、身近な事例を日本語で投稿することも簡単にはできなかったわけでして。今はネットにつなぐ環境のあるところからなら、日本語で書かれたこと、日本語で発表された内容について、海外に住んでいても日本人や日本語を読み書きができる人が、コメントを書き込めるようになりました。

 もし、「〇〇国ではバナナは遠足には持って行かない」という発表にはっきりしたソースが提示されていないとしたら。それが国の法律で決まっているのか、その国の伝統文化や習慣なのか、情報を発信した在外日本人のまわりだけの出来事なのかということがはっきりと分からない場合でも、〇〇国のことを知る人で、日本語で読み書きする人たちの書き込みによって、だんだんと状況が明らかになってくるということがあると思います。

 また、「自分は〇〇国に住んでいるが、〇〇国の断片しか知らないので、発表することはできない」と思い込むのは、あまり誰の利益にもならないとような気がします。「〇〇国では」という大きな括りで、自分の身の周りの現実を紹介するとしたら、そのことをはっきりと書き、100%の正確さが保証できない場合でも、それを正直に書いて、同じような事例や違った現実を知る人の意見を募ることができるのがネットの良さだと思います。

 ※ただし、ツイッターのようにスペースが限られたところでは、どこに住んでいて、どの言葉を使っている人であれ、いろいろ書き込むことができないので、それが説明不足やソース提示不足を招く危険もありますし。

 新聞、書籍やテレビといった一方向でしか情報を伝達するしかなかった時代だと、〇〇国在住の日本人が発表されたものが、〇〇国の中で、特殊な事例なのか、一般的な事例なのかが、分かりづらかったり、事実とずれていても、そのまま日本に住む人たちに受け入れられていく危険がありました。〇〇国のことをよく知る他の人が、別の側面を伝えようとしても、それを発表する手段もなかなかありませんでした。だいたい、海外に住む他の日本人の人たちが、そういった新聞、書籍を入手するのは困難でしたし。

 現地に住んでいて日本語で読み書きしない現地の人など、たとえ自分のことについて書いてある新聞や書籍が目の前にあっても、何を書かれていても分かりません。それを良いことに、あること、ないことが「書き放題」「書かれたい放題」になることもあるのです。私自身も、「取材対象者は日本語を読まない」という気持ちがどこかにあって仕事として記事を書いてしまったこともあります。何回も。

 〇〇国に住んでいる日本人の人がネット上で発表されたものに対して、コメント欄やSNSを使って、日本に住んでいる人や、〇〇国に住んでいる日本語で読み書きする人が、質問したり、同じ事例や異なる事例を挙げてやりとりすることは、ひとつの発表に厚みが出てよいと私は思います。もちろん、その書き込みそのものが事実なのかどうかという問題は残るとは思いますが。

 私もツイッターを使い、ブログにも書き、お金をいただいて仕事として記事も書いています。特に仕事として書いているものは、できるだけ正確な表現、私の分かるところ、分からないところが米国に住んでいない人にも伝わるように、気をつけているつもりではいます。(もともと原稿がヘタなので及第点に達していないとは思いますが)

記事として書いているものだけでなく、ツイッターやブログなどでも、私の書いたことと違う事例や間違いがあったら、教えていただきたいと思います。

追記 ものすごく当たり前ですけど、コメントを投稿できるということは、ネットで発表するものに誰もが「ツッコミ」可能っていうことですよね。

 書籍や新聞でも、編集部やデスクがチェックを入れる役なんでしょうけども、海外からの記事はなかなかそれが難しいところもあったかと。

 かつて、在外日本人が新聞や書籍で何かを発表した場合、なかなか「ツッコミ」を入れられない、そもそも、現地の人に(現地の日本人も含めて)は新聞などにそんな内容が掲載されていることすら知られずに済むことがあり、物理的に同意もチェックも不可能だったケースがいくつもあったのだと思います。