私はこれまで「女子マネ」にはあまり関心がありませんでした。
今年(も)、日本で「女子マネ」の美談報道があり、それが問題視され…ということがあったようです。いつもならスルーするところだったんですが、ちょっと検索してみると、アメリカにも女子のマネジャーたちが練習の準備をしたり、飲料水を用意したりすることを取り上げた報道があり、しかも、美談風にまとめられているものを見つけたのです。私自身もアメリカに(うちの近所の高校に)「女子のマネージャー」がいるというのは実際に見てはいたのですが、このアメリカの記事には驚きました。
その日、書いたブログはこちらです。
アメリカの高校スポーツにも女子マネジャーはいる。メイド? - 『子どもがひとりで遊べない国、アメリカ』 (谷口輝世子・生活書院)
それから気になりまして。
そこで、『女子マネージャーの誕生とメディアーースポーツ文化におけるジェンダー形成』(高井昌吏・ミネルヴァ書房)を取り寄せました。
日本の学校運動部が、アメリカをモデルに作られたものであるとすれば、マネージャーという仕事もアメリカから取り入れられたものなのか?ということも知りたかったのですが、ここではふれられていませんでした。
しかし、女子マネージャーがいかにして誕生したのかが、よく分かりました。
戦前の学校運動部には女子マネージャーはいないのです。マネージャーも男子です。女人禁制状態。
戦後、男女共学がすすみ、1960年ごろから女子マネージャーが登場。今まで女人禁制状態のところで女子マネージャーが誕生したわけですから、女子禁制を貫きたい女性蔑視思想の人たちと、女子も男子と同様にマネージャーになることを容認すべきだ、という立場での議論となります。この時点では「女子マネ」はフェミニズムの批判の対象にはなっていません。
そこから70年代、80年代にかけて女子マネージャーが増えていきます。男子マネージャーはどこへ行ったのか? 男子は激化する大学受験に備えてマネージャーをする人が減ります。当時はまだ、女子の大学進学率が高くなかったので、女子の方がマネージャーをする時間的余裕があったと、筆者は分析しています。
しかも、マンガでも女子マネージャーが登場。80年代は「タッチ」の南ちゃんです!
マネージャーの多数派が女子になり、86年には男女雇用機会均等法の改正があった。このあたりから、「女子マネージャーは性差別ではないか」とのフェミニズム的な論争が出てきます。
この時点で女子マネージャーは高野連の試合でのベンチ入りも認められていないのでした。
この本によると、88年、92年、94年に「フェミニズム的論争」が起こったそうなのですが、女子マネージャー肯定をする意見に有利な流れとなっていきます。
なぜか? その後、高野連が「女性に開かれた野球」ということで、女子マネージャーのベンチ入りを認めたからです。建前としては女子生徒も男子生徒と同じようにベンチ入りできるということだったんですが、ウラ話としては、サッカー人気に押されたり、高校野球人気が落ちていたことから、そこで、裾野を広げるためのひとつの手段として女子マネージャーのベンチ入りを認めることになったとか。
この本のなかでも
結局のところ、「女子マネージャーは性差別である」という議論(フェミニズム的論争)にとってもっとも大きな敵は、もうひとつの「女子マネージャー差別論」(ベンチ入り論争)だったのだ。
と書かれています。
女子マネージャーのベンチ入りが認められて以来、朝日新聞紙上では「女子マネージャーは女性差別であるか」という論争はあまり出ていないらしいです。なるほど…
では、アメリカの学校スポーツにおけるマネジャーはどうなんだろうか。最初は男子だけだったのか、途中で女子も入ってきたのか。
日本で女子マネージャーが定着してきた70年代。アメリカでは70年代はじめにタイトルⅨという法によって、政府の補助金を受けた教育機関で、性別によって、何かをする機会に差をつけることを禁止しました。
もしかして、アメリカでは「女子マネ」が定着する前に、すぐに男女どちらもいる状態になったのか。
では、どうして、米国にも、日本の女子マネによく似た女子のマネージャーがいるのか。日米の女子マネのアイデンティティ形成に共通するものがあるのではないだろうか。
このあたり、全部???です。どうやったら調べられるのでしょうか。
この本に私の大学時代の恩師が登場していました。全然、知りませんでした。女子マネージャーの調査をされていたなんて。だいぶ、昔のことみたいですけど。
今日のところは(1)と書いたので、また、続きが書けるようにしてみます。