職員室と校長室を変えない限り、部活動問題は解決しない。

 私はこの1年間、学校の教員がやりたくない・できないのに部活動の顧問を押し付けられて、放課後の練習に付き添ったり、週末も練習や試合で休めないことをネットや新聞記事で知るようになりました。

 これまで先生方が部活動の指導で忙殺されているのは、生徒・保護者の部活動への需要が高いため、全員の先生が顧問をしないと供給が追いつかないのだろうと考えていました。

 ところが、内田良先生のヤフーの記事やその注につけられていた資料によって、積極的に部活動の指導に関わりたい教員が3割、条件付きなら部活動の顧問を引き受けると考えている教員が少なくないことが明らかになりました。

  標準的な公立中学校で全校生徒600人、教員数30人の学校で、仮に半数の教員が条件付きで顧問を引き受けたら1人制で15の部が、主・副顧問制でも7-8の部の顧問をしてもらえます。

 もちろん、ある先生の転勤に伴い、希望していなかった、やりたくない種目の部の顧問を務めるという問題は残りますが、数だけを見た場合、私には公立学校が提供できる部活動数としては十分なように思えました。

 私は疑問を持ちました。もしかして、生徒・保護者の需要が高いというよりも、学校内の全教員が部活動に携わるという前提のために、仕事数が増やされているということはないだろうかと。

 それと、学校の教員というのは法的に保障されていることでさえ、主張するのが非常に難しいこととも関係があるのではないかと推測しました。

 つまり部活動の需要と供給の問題ではなく、(教育委員会や)学校の管理職と教員間での同調圧力の問題によって、仕事が増やされ、部活動顧問を拒否することが難しいのではないかと考えたのです。

 現在、運動部顧問を引き受けるか、引き受けないかの権利を保障するように署名運動をしている先生方は匿名で署名運動をされている方が多いのです。署名のHPにも現役教員が実名を使ってのフェイスブックでは保護者や生徒から誤解される恐れがあるため拡散が難しいとも書かれていました。私は署名活動も、匿名で活動されていることも批判していません。念のため。

 日本中の全部の学校ではなく、ごく一部の学校と思いたいのですが、学校の職員室と校長室で非常に自分の意見を言いづらい状況である。仮面をかぶって指導にあたっている先生方が日ごろ抑えていた不満が匿名のツイッターやブログにあふれているのではないかと。

 ツイッターでやりとりしているうちに、法的に顧問を拒否することは可能でも、顧問拒否は学校内で村八分になるといった内容や、学校内の教員間のいじめのようなものがあるという内容の書き込みも見るようになりました。

 全員が同じように顧問を引き受けなければいけない。引き受けないとその教員が不利益になるような、目に見えない制裁が下される。たとえ法的根拠や科学的根拠がある意見でも封じ込まれる。

 私は学校の運動部が顧問の先生や生徒たちにとって参加しやすいものであるように、活動時間制限や、外部指導者の採用過程・報酬など、アメリカの事例を紹介してきました。
 しかし、全員が同じように顧問を引き受けなければならないことや、拒否した場合の制裁といういじめが改善されない限り、活動時間制限や保護者への啓蒙は、ほとんど意味をなしません。「活動時間が少ないのだから全教員で顧問を」というふうに全教員が顧問をする方向に使われる恐れがあるのではと、懸念しています。

 全体練習時間が制限され、協力的な生徒・保護者に囲まれるという環境をお膳立てしたのだから、全教員が顧問をするべきだという世論にすり替わっていくのではないかと懸念しています。それでは、一部の管理職や教員から、顧問をやりたくない教員が圧力を受け、その不満がネットに上がってくるという構図は変わらないのではないでしょうか。

 私は教員が部活動の顧問をするかどうかを選択できるようにと願っています。シンプルに勤務時間を1分でも超える部活動の指導は、法で拒否することが保障されていると訴えるほうがいいのかなと、考えています。

 私個人が教員が顧問をする・しないの選択権を保障されるべきと考えている理由のひとつには、全員顧問制や長時間労働による教員の不満は限界に達していて、その負の感情が子どものスポーツ活動の存在そのものに向けられているのではという被害妄想を持っているからでもあります。

 来年、私のやりたいことで、できることは何なのか。考えて、取材して、記事にしたいと思います。

 皆様、よいお年をお迎えくだいませ。来年もどうぞごひいきに。