まだメモ書き。米国発運動部のコーチは教員の仕事か(1)報復人事編

 

1,生徒主導から教員の管理下へ。

1880年から1930年にかけての歴史的変遷はRobert Pruter著の『The Rise of American High School Sports and Search for Control,1880-1930』を参照。

 同書は米国の高校運動部の創成期である1880年から1930年までの変遷を綴った本。

 これによると、米国の高校運動部は19世紀後半に米北東部にある私立の寮制高校で始まった。生徒たちが学校外や休憩時間に全く自主的に活動。生徒のなかでキャプテンを決め、このキャプテンがコーチとしての役割も担っていたり、大学生や外部の大人にコーチを依頼したりしていた。学校間対抗の試合も行っていたが、マネジメント役の生徒が資金集めなどのお金の管理も担っていたことがうかがえる。生徒たちは大学運動部のやり方を模倣してもいたようだ。

 こういった活動に対し、学校側はこれを管理する意思はなく、教師も介入していなかった。

 1900年代に入ると、学校が運動部活動を管理下に置こうとするように。第一の理由は学校における体育科教育が重要視されるようになったこと。第二の理由は、公立高校が急増し、これまで中・上流階級の子どもが通う学校から、全ての子どもが通うべき場所になったことが挙げられる。

 運動部活動が学校の管理下に置かれることによって、次第に教員が運動部のコーチをするようになった。

(米国では運動部やスポーツチームの指導者の多くはコーチと呼ばれている。日本の教員が運動部の顧問、または、監督をしていること、外部指導者が学校運動部を指導していることは、米国の英語では「コーチ」と表される。本稿でもこれに従い「コーチ」と表現する)

 1900年代に入り、次第に教員が学校運動部のコーチをするようになったが、コーチは学校の教員だけだったのか、外部指導者はいなかったのか、運動部のコーチに報酬が支払われていたのかを見ていく。

 同書で取り上げられているthe National Survey of Secondary Educationという1932年の発行物がある。https://eric.ed.gov/?id=ED543455

これは、米国の教育局?発行のアンケート調査のシリーズのひとつであり、1932年の発行物には、1929−30年の年度に327校の高校を対象にしたアンケート調査と、実際に訪問した36校でのインタビュー調査がまとめられている。

 これによると、運動部のコーチの多くが学校の教員であった。また、コーチのうち、およそ3分の2にお金が支払われていた。調査した学校の約半数で、コーチは、他の教員よりも高い給与を得ていた。

 また、ほとんどの州では運動部のコーチは、学校の教職員でなければいけないという規則があった。

 オハイオ州の高校運動部を統括する組織ではフルタイムであれ、短時間勤務のパートタイムであれ、運動部のコーチは体育科教員の資格を持つ者と定めていることも書かれている。

 コーチをしている教員は他の教員よりも高い給与を得ているのは、回答のあった学校の約半数と書かれている。このことから、残りの半数はコーチをしていても、コーチをしていない教員との給与の額に変わりはなかったと推測できる。また、コーチをすることで報酬を得ていたかもしれないが、他の仕事で、全体の仕事量が同じになるように調整されて、コーチをしていない教員とほぼ同額になるように設定されいた可能性も考えられる。  

 

2 運動部のコーチを引き受けない体育教師に報復人事発言!

1929−30年度の調査から17年後の1947年4月には、教員が、課外活動としての運動部のコーチをすることは、時間外勤務とみなし、労働にみあう報酬を支払うべきかどうかが議論されている。

 米国全体でこのような議論があったかどうかは明らかではないが、ワシントンD.Cで同地区の教員給与法の改正案のための財政問題に関する合同委員会の公聴会の記録が残っている。

books.google.com

 ワシントンDCの運動部のコーチをする体育科教員のチェアマンであるランド氏が、運動部のコーチは通常の仕事のうえに追加されている仕事であるので、この労働に対して報酬を支払うべきだ、と主張している。

 まず、体育科教員が運動部活動の指導を担っていることについて以下のように述べられている。

 体育科教員は、健康、安全、体育を教育するために雇用されている。一般的な学校の1日は午前9時から午後3時までだ。我々、体育科教員は、仕事の一部として課外活動を指揮している。

 体育科教員として雇用されている我々は、課外の運動部活動を指導するよう求められている。これらはシーズン中には1日3ー4時間の放課後の活動であり、時には土曜日、クリスマスの休暇、イースターの休暇にも練習や試合があり、バスケットボールではしばしば夜10時ごろまで行われる。学校の管理員、他の職員ら放課後に仕事をする人たちには、労働に対する対価が支払われているが、我々には支払われていない。アメリカンフットボールの試合で、入場門で入場券を販売する教員には、労働の対価が支払われている。これは教員の給与とは別のものである。

 また、教員が夜間にクラスを受け持つ場合、経験年数が3年目までの教員には、給与に加え、クラスあたり2ドル60セントが支払われている。しかし、運動部を指導する体育科教員には支払われていない。

 運動部の指導をする体育科教員に、労働の対価を支払うよう求めるランド氏は資料として1946年に発表されたThe National Education Americanの調査結果を提示。人口10万人以上の81都市のうち、53都市で運動部のコーチをする体育科教員に対し、追加の仕事への追加の報酬が支払われていると発言した。

 この公聴会で、議員の「体育科教員が運動部のコーチをやりたくない場合の要件はあるか」との質問に、ランド氏はこのように答えている。

 「そのようなものはないが、校長がその男性(の体育教員)に運動部のコーチをするよう依頼し、その男性(の体育教員)がそうするように期待している。もしも、彼がコーチをしないのならば、転勤させるだろう。過去にそのようなことがあった。もしくは、非協力的であるとして評価が下がる」

 これに対し、公聴会の出席者であるコーニング博士は、運動部のコーチを引き受けなかった体育科教員に転勤や評価を下げる行為は支持しないと発言。さらに「コーチをすることは、ボランタリーであるだけでなく、このポジションはひっぱりだこでもある」と述べていて、体育科教員に義務づけられた仕事ではなく、ボランティアであること、コーチは人気があり、やりたくてもできない教員もいるとしている。

 この公聴会では運動部の指導に対する報酬に、運動部の公式戦で観客から徴収する入場料をあてられないかという質問や、運動部を指導する体育科教員により多くの有給休暇を与えることで調整できないかという意見が出ている。しかし、入場料収入は教員の報酬には不十分であり、有給休暇の増加は、代替の教員を雇用するなどにつながりかねず、状況をさらに悪化させる恐れがあると指摘された。

 

まとめ。

生徒の全く自主的な活動であった課外の運動部活動は、キャプテンの生徒がコーチをしていたり、学校外の大人から支援を受けていることもあり、大学生や外部の大人からも指導を受けているケースもあった。次第に学校が運動部を管理、統制するにしたがって、教職員が運動部のコーチをするようになった。男性の体育科教員は、運動部のコーチをするように期待され、体育教員の資格を持っていることをコーチの条件とする州も出てきた。

運動部のコーチをしていることで、他の教員よりも高い給与を得ている教員がいたり、コーチをすることで対価を支払われている教員が約半数いるという調査結果が残っている。一方では、運動部のコーチは給与に含まれないので、追加の仕事として、給与に上乗せする報酬が必要だと、教員が訴えた地域もあった。

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