『お金から見るアメリカの運動部活動』を発表しました。

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主な内容は次のようなものです。

・アメリカでは学校の予算における運動部コストの適切な割合をどのように考えているか
・教員は運動部の指導をしなければいけないのか。
・外部の指導者もいるが、どのようにして採用しているのか。
・教員や外部の指導者の報酬、その報酬額は何を根拠に、誰によって決められているのか。
・お金が足りないときにはどうなるのか。
・参加費徴収に関する州の法や議論
・家庭の経済格差による参加機会の影響をどのように抑えるのか。
・保護者による支援グループ ブースター・クラブとは何か。
・スポンサーや入場券収入

これらを豊富な文献から調べ、現地でのインタビュー調査を行い、保護者としての経験もあわせて、まとめたものです。

日本では部活動の地域移行が進められていますが、この本では、アメリカのように学校でやるべきとは書いていませんし、私もそのようには考えていません。

また、たとえば、日本の運動部でも、スポンサーをつけたほうがよい/つけないほうがよい、ということは、私は考えていませんし、この本でも書いていません。

ただ、アメリカでは、日本とは違う方法で運動部を運営しているので、日本で運動部の活動モデルを構築されている多くの方に、モデルを作りあげていくうえで、アメリカの運動部の運営の詳細をお伝えすることで、補助線を引くことのお役に立てるかもしれない、と考えて書き始めたものです。

私は10年ほど前からアメリカの運動部についてインターネット媒体や体育科教育という雑誌に記事を発表してきました。しかし、この本のきっかけとなったのは2020年に論文を書こうとしたことにあります。私は、アメリカでスポーツ報道の仕事をしていますが、新型コロナの感染防止のため、出張に行かなくなり、ほとんどのスポーツイベントも中止になったので、6月ごろまでは仕事そのものがありませんでした。

そこでかねてから気になっていたことを、100年前の調査や1940年代の公聴会の資料などを読み始めたのです。それがあまりにもおもしろかったことと、時間の余裕があったことから論文にまとめられないかと考えました。私はスポーツ報道の仕事をしていて記事は書いていますが、論文は大学時代に卒業論文を書いた経験しかなかったのですが、論文のほうが伝わるのでは、と漠然と感じからでもあります。

そうやって、2022年までに、3本ほど、40(今は50代になりました)の手習いで論文を書きました。論文には、なぜ、この論文を発表する意義があるのかを書かなければいけないらしいということで「日本の地域移行の一助となる」みたいなことを書いていましたが、どうも私自身には違和感がありました。

あるオンラインの場で発表したときに、日本の体育科研究のすごく偉い教授が、日本のことは、こちらでも考えるから、それほど考えなくていいですよ、と言う内容のことをおっしゃってくださいました。そのとき、ものすごくすっとするものがありました。

とにかく自分としては徹底的にアメリカの運動部を伝えていけばよい、日本には、優れた現場の先生、指導者、理論やモデル作りという点では優秀な研究者が大勢いらっしゃるので、自分の悪い頭で日本の部活をどうするべきかを提言しなくてもよいのだ、とほっとしました。

ただし、私がアメリカの運動部を知りたいと思っている背景には、日本での地域移行について見聞きしたことについて、「では、アメリカはどうなっているのか」ということがベースにあります。ですから、私のアメリカの運動部に関する疑問は、日本の問題と多少はリンクしていると思います。

ということで、この本では、学校でやるのがよい、地域でやるのがよいというのはほとんど触れずに、アメリカの実態、特に教員や指導者の働き方や報酬、子どもたちからの参加費徴収について詳しく、詳しく、レポートしました。(どのくらい詳しいかというと、現場でアメリカの先生に聞いたり、アメリカの本も探してみたけれど、はっきりと答えが見つからなかったので、100年前の資料などを掘り起こしながら、書いたのです)

それが結果的に、地域移行についてどうすればいいのかを考えていただくときに、今までと違った考え方で運営や活動モデルを考えていただくときにお役に立てる本になったと自負しています。

2024年2月某日 取材日記

2月某日 取材日記

 

今年のキャンプ取材はデトロイトタイガースの取材もした。フロリダ州レークランドというところで、セントラルフロリダと言われている地域だ。ある日、フリーウェイではなく、下道を使って、西のタンパ方向へ車を走らせていた。

 

前をスクールバスのような乗り物が走っていた。そろそろ夕方にかかろうかという時間帯だったので、フロリダのスクールバスは緑色のものもあるのだろうかとぼんやり考えていた。それにしても、ボロボロのバスだなとも思った。

 

前を走っていたそのバスは、農場らしきところで左折した。そのとき、たくさんの人がぎゅうぎゅう詰めに座っているのがちょっと見えた。その農場には、緑色のスクールバスの形をしたバスが他にも止まっていて、腰をかがめてイチゴの収穫をしている人たちの姿が見えた。そこで、ようやくわかった。あのバスは農場で働く人たちを乗せているバスなのだということが。

 

私はアメリカに25年も住んでいる。スポーツのイベントを追いかけてあちらこちらへと移動し、ときどき、農場の近くを車で通過するということはあるし、大型の農業用の機械や、農薬散布の装置を見ては、こういう大きな機械で、広大なアメリカの農業地で作物を育てているのだと感心していた。

 

しかし、大勢の人が一斉に農場で作業をするところを見たことがなかった。作業をしているひとりひとりの人が、どういう人なのか、私は全くわからない。アメリカ人なのか、どこかの国から来た移民の人なのかも。でも、ぼろぼろのバスに揺られて作業現場まで移動していることから、よい待遇で働いているとは言えなさそうだとは感じた。

 

ちょうど、この何日か前、熱中症の記事を読んでいた。フロリダではこの2年間に、屋外で労働していた7人が亡くなっている。フロリダ州では、屋外での労働者を守るために、休憩や水分補給を義務付ける法案が何度も出されているというが、ほとんど成立していないという。

 

私は、子どものスポーツも取材していて、熱中症を防止するために、いくつかの対応策が取られていることを知っている。これまでに、スポーツしている子どもが熱中症になり、死亡するという悲しい事故が起こってきた。なぜ、防ぐことができなかったと考えるし、管理責任を問いただす声もたくさん出た。

 

屋外で働く人が熱中症で亡くなったとき、私は子どものスポーツにおける熱中症を考えるようには考えていなかった。率直にいえば、気を付けていれば防げたのではないかという「自己責任」の問題と捉えていたふしがあるからだ。誰かに管理されて、休憩を取ることもできずに働いている大人たちを思い浮かべることができなかったのだ。

農場が続く片側1車線の道を運転しながら、そんなことを考えた。ホテルに戻ってから、キンドル場で「積読」になっていた『綿の帝国』という本をちょっとだけ読み始めた。表紙の絵が、この日、見たイチゴ農場とそこで働く人たちに似ていたから。

 

the administration and cost of high school interscholastic athletic (2) 体育科教員が運動部コーチをするべき

100年前に調査されたthe administration and cost of high school interscholastic athletic という資料を読んでます。

 

生徒が全く勝手にやっていた運動部活動を、学校のなかに取り込んでいく時期の調査です。

誰が運動部のコーチをやっているかという実態調査もされていて、

ほぼ学校の教員で占められていて、体育科教員が多いのです。

ただ、この調査者は、チームスポーツは体育科教育の中心になるものと提唱されている割には、他の教科の教員がコーチをしていることが多いのではないかと疑問を投げかけています。

 

例えば、体育教師にその種目の競技経験がない場合、競技経験のある他教科の教員や地域の元選手にコーチ職を取られてしまうと。

 

それと、たまにしか勝たない地域はパブリックの応援を得られないと書かれています。

だから、勝つことへの重圧があると。

 

運動部を、教育の論理か競技の論理で運営するのか、という問題は日米でもさんざん指摘されていますが、

100年前はパブリックの支持を得られないと書かれています。今だったら、保護者から苦情が来るとかになるかもしれないな、と思いながら読んでいます。