Evaluation

今日は、早朝から子どもたちの野球のevaluation に行ってきました。

うちの子どもは、野球については、ハウスと呼ばれるレクリエーション色の強いリーグでやっています。

このリーグは参加したい人は全員どこかのチームに入ることができるのですが、シーズン前に、どのくらいの競技能力があるのか評価をしてもらわなければなりません。

なんのためかというと、各チームの戦力を均衡させるためです。

ひとりずつの投げる能力、打撃力を評価して、全員を順位づけした後、

全チームの担当コーチ(コーチは通常だれかの保護者。自分の子どもは順位に関係なくチームにいれる)がドラフト会議を持ちます。

今日は、上の息子のevaluation だったのですが、2年下の二男も連れていきました。

学年が下でも、この評価で全体の上位30%に入ると、上の学年のリーグでプレーできるそうです。

二男がずば抜けてうまいからではなく、兄弟は同じチームに入れてもらうことができたら、送迎の手間が一回で済むのではという目論見から。

しかし、2年の壁は大きかったよう。二男、なんとかバットにボールは当てていたものの、ファウルにするのが精一杯。上位30%はどう見てもムリのようでした。(まだ、連絡はきていませんが)

また、2チームに分かれて、近所の複数のグラウンドを駆け回ることになりそうです。

アイスホッケーシーズンは明日までですが、来週からすでに新シーズンのトライアウトが始まります。

長男は今のチームにとどまる予定ですが、二男はいくつかトライアウトに連れていく予定です。バタバタバタ…。

 

標準テストは、貧困やマイノリティの子どもに有効か否か 覚書

 州標準テストに関する本
opposing viewpoints Standardized Testingこの本はタイトルの通り、ひとつの事柄に対して、対抗する2つの意見を紹介する(恐らく中高生向け)シリーズ。

Standardized Testing (Introducing Issues With Opposing Viewpoints)

Standardized Testing (Introducing Issues With Opposing Viewpoints)

自分なりのまとめ
●標準テストは貧困とマイノリティの生徒たちの教育向上に役立ったとする意見

 NCLB(No child left behind 落ちこぼれ防止法)2002年制定

 NCLB施行以前は、貧困地区、マイノリティーの子どもたちの学力が、他の人たちから全く関心を持たれることがなかった。どのくらい出来ないのかなども、よく分かっていなかった。彼らの成績は「fine」の一言で片付けられ、高校を卒業してしまっていた。

 テスト結果のデータ作成にあたって、NCLB施行以前には、人種、性別、経済的背景、英語母語かどうか、などのカテゴリーを設けていた州が少なかった。(そのため、特定のグループの学力問題が数値として見えにくくなっていた)

 テキサス州だけがこれらのグループが他のグループとのギャップを縮めることを州の目標に掲げていた。

 NCLB施行により、貧困、マイノリティの子どもたちの学力に関心が持たれ、学力向上に努めるようになった。

 NCLB施行後、多くの州において全体的な成績が上がっている。2005年の調査によると、2000−05年の間に9歳児のリーディングはその前に28年間の伸びを上回るものであった。

 ●標準テストは、貧困やマイノリティの子どもにとって有害とする意見

 教員の質や量、教材の質や量が、ミドルクラスやアッパーミドルクラスに追いついていないなかで、生徒だけ、彼らと同じテスト結果を出さなければいけないというのはおかしい。

 彼らがテストで結果を出すための指導に時間がとられて、これでは、生徒に本当に必要な学習内容を指導することができない。

 また、予算が十分でない地区では、テストで結果を出すために、美術や音楽などのその他の授業が削減される可能性が高い。

 貧困地区、マイノリティの子どもたちは高校のテストで一定の結果を出せないため、そのことで高校卒業資格が得られない、または中退するという状況にある。そのことで、彼らの大学進学や、キャリアにおいてより困難な状況になる。

統一テスト妄想編

統一テスト結果の公表と教員評価、学校評価について。

 子どもたちに同じ内容のテストを同じ時間に受けてもらう。このこと自体は別に悪いことではないと思います。
 自分の学力が同級生の子と比べて、どのくらいかっていうのを知ることも悪いことではないと思います。

「序列化」という言葉は刺激が強いです。が、子どもたちには、あくまで「現時点の、このテストによる得点」であって、テストで計測されていない「学力」もあるし、「人間」や「性格」や「将来性」やそんなものの点数化ではないことを伝えてあげたいと思います。

 私が考えた利点
 ①同じ内容のテストにより、子どもたちの苦手とする単元や課題、得意とする単元や課題が分かり、今後の指導に活かせる。

 ②テストが外発的動機づけになって、教員側も子ども側も、指導、学習に力が入る。→教員の質向上ってことかな。

 どのような形で集計され、公表されるのかは分かりませんが、以下は私の妄想です。

 私が妄想した怖いところ

 ①学校単位の成績を算出するにあたって、特別教育支援級や支援校などに在籍する子どもたちを別に分類する場合、成績不振の子どもに何らかの診断名をつけ、支援級の生徒としてカウントしようとすること。

 ②子どものテスト結果を学校や教員の評価と連動させる場合、テスト作成者が、あまりにも低い点数の子どもが(教員や学校評価の低くなる)続出しないような問題作成をしてしまう危険性。→ テストの意味がなく、税金と労力のムダづかい。

 番外 米国では学校ぐるみでテスト結果を改ざんしていた事件があった。

 以上で妄想は終了です。