長谷川滋利さんと長時間練習の話

もう17年ほど前のことで、記憶があやふやな部分もありますが、

思い出話を書きたいと思います。

たしか1998年のことだったと思います。

長谷川滋利さんがエンゼルスでプレーされていたころの話です。

長谷川さんはご自身には通訳をつけず、できる限りチームに溶け込むように努力されていました。努力というよりも、英語でコミュニケーションをとり、自然とチームになじまれていたようにも思います。

そして、アメリカに来たからにはアメリカのやり方を取り入れようとされているようにも見えました。当時はまだ、日本からメジャーに挑戦していた選手の数も少なく、前例や日本人の先輩もいないなかで、選手もまわりも手探りのことが多かったのです。

ある日、次の日がお休みだったか、どんな日だったか忘れたのですが、「野球から離れる」という話をしていたと思います。

長谷川さんは当時の現役トップだったマダックス投手を引き合いにだし、「マダックスでもずっと野球ばかり考えているのではなく、ゴルフに行く」という話をされました。マダックスでも野球以外のことをしてリラックスしている時間もあるのだから、自分もそのやり方をやってみるというような意味合いだったと思います。(すみません、正確なコメントは言葉遣いが違うかもしれませんが、大意はこのようなものでした)

恐らく長谷川さんだって、日本にいたときは一日中野球のことを考え、長い時間、練習をされてきたはず。

だから、他のメジャーリーガーのようにシーズン中でも頭を切り替えて、少し別のことをすることや、短時間で練習を終わらせることを、長谷川さん自身が取り入れていくにあたって、少し勇気がいるようでした。

少なくとも、そのときの会話から、私は「長谷川投手でも野球から少し離れるということは勇気のいることなのだ」という印象を受けたことを記憶しています。

1998年は私がスポーツ新聞の記者として、日本から米国に取材の拠点を移した年でもありました。当時は私は20代の独身で、日本にいる両親もまだ若く、自分のことだけを考えられる状態で、しかも、長時間労働しないと不安になるので、いつでも早く取材現場に行き、常に仕事のことばかり考えていたように思います。

私自身がそうだったからこそ、長谷川投手が、シーズン中でも、野球からちょっと離れて別のことをしようとしていた様子をよく覚えていたのかもしれません。

長時間練習は一度、定着してしまうと、今度はやらないととても不安にかられるというものなのかもしれません。短い練習に切り替えるということも勇気のいることなのだと、ふとあのときの長谷川投手の様子を思い出しました。

私の思い違いだったらすみません、長谷川さん…

追記 なんで、長時間練習をするんでしょうか。

   やらないとうまくならない。→ 休みも必要

   負けてもやるだけのことをやっていれば納得がいく。

   負けてもやれるだけのことをやっていれば言い訳できる?

   あまり長時間練習しない国のアスリートはどんなふうに考えているんでしょうか。負けても日本人とはちょっと違うところで納得するんでしょうか。これは宿題いします。

パソコンで宿題をしなければいけない 米国小学生

こちらに若者のデジタル端末所有率の国際比較がとても詳しく書かれています。私はノートパソコンやタブレットの所有率が高い米国に住んでいます。

 

http://tmaita77.blogspot.com/2015/02/blog-post_25.html
データえっせい: パソコンを持たない若者

 

家には公立校に通う小学生と中学生の子どもがおります。米国ではなぜ、ノートパソコンやタブレット所有率が高いのか。

ひとことで言うと、宿題で必要です。

パソコンやネット環境がない家庭はどうなるのか。という問題はあるのですが、

公共図書館に数十台のパソコンが並んでいて、ネットにもつながっており、図書館カードで1時間使用できるので、これによって一応、宿題できる状況は保障されているわけです。

逆に言えば、この表にあるような、パソコンを所有していない十数パーセントの人たちは宿題もやりづらい環境であるともいえるのではないでしょうか。

こちらは日本の幼稚園年長児にあたるキンダーガーテンから小学校の校舎に通います。では、キンダーガーテンから子どもたちの学校生活にどれくらいパソコンが必要だったかを振り返ってみます。

1、キンダーガーテン

担任の先生が指定するウェブサイトに行き、先生からもらったパスワードを入力すると問題が映し出されます。(何年も前のことなのでうろ覚えですが)簡単な足し算などの問題が出て、答えを選んでクリックするようなものでした。日本のしまじろうのDVDに近いかもしれません。

成績や正答率は先生の手元でクラス分が一覧表になっているようです。

2、小1から3年ぐらいまで。

鉛筆と紙の宿題もあるのですが、多読の一環としてパソコンを使っていました。こちらのプログラムです。

Reading A-Z: The online leveled reading program with downloadable books to print and assemble

子どもの読解レベルをAからZまでとし、先生が事前に1人ずつ個別にテストをしてどの段階にあるのかを調べます。先生からもらったパスワードとユーザー名を入力すると、自分が読むべきレベルの本が出てきます。

ほぼ電子書籍のようなものでして、音声で読んでもらうこともできます。

読み終わると読解問題(選択肢)に答えます。正答率が低いとやり直しになります。

そのレベルの文章を全部読み、読解問題もパスすると、次のレベルに自動的に上がります。

これもクラス全員の進捗状況を先生が一元管理されていました。

3、小3 タイプうちの練習

 確か小3か小4だったと思いますが、タイプ打ちの宿題をよくしてました。このときに使ったのがType To Learn

Type To Learn 4 Keyboarding Skills Software

 ゲーム形式で音声と画面から指示された文字を決まった秒数内に打ち込む練習です。

 4、小4だったと思う。

 パワーポイントの使い方を学校で習ってきました。家でもプロジェクト系の発表のときにパワーポイントを使っていたと思います。おもしろいなあと思ったのは、パワーポイントを使うにあたって、うまく文章を区切っていくことを習っていたことでした。

 長男のときはどんなものだったか忘れてしまいましたが、二男は自作の算数ゲームの遊び方をパワーポイントを使って説明するということをしていました。

 5、小5

 担任の先生がホームページを持っていて、毎日、そのホームページを確認して、宿題や持ち物を確認。

 このmobymaxというウェブサイトにいって、1日20分、読解、算数の問題を解く。正答率が8割以下はやり直し。先生が成績と進捗状況を一元管理。Complete K-8 Curriculum | MobyMax 

 8割以下になるとやり直しです。

 そういえば、これもありました。絵本製作ソフト.うちのファイアフォックスではうまくいかないため、図書館に通いました。あとで製本した本を買わされます。。Free Online Student Book Publishing | Studentreasures Publishing | Login

6、中学生

 各教科担任ごとにフェイスブックとよく似たEdmodoを使用。保護者、生徒でアカウントを持つ。

Connect With Students and Parents in Your Paperless Classroom | Edmodo

 ここに先生からの宿題や、(この問題に答えたら5点あげます、というのもタマにあり毎日チェック必要。うちはしてないようですが)、提出物の念押しなどがアップされます。アカウントを持っている子どもたちが書き込み、宿題を教え合ってもいるようです。

 また、提出物を出さないと成績にわりと響くのですが、提出物を出して、先生がどう評価しているかも、学校区のホームページから個人のアカウントにアクセスして確認します。定期的にこれをチェックするように言われてます。提出したのに、先生が未提出として記録している場合は、異議申し立てをします。

 有名ですが、カーンアカデミーで勉強するように先生から言われています

 Khan Academy

 小学生のときから一部のテストはパソコンで受けているようです。正答が続くと、問題の難易度があがっていくそうです。

 追記 このブログの続編として、子どものスポーツとパソコンという記事を書きました。こちらです。


宿題でも、スポーツでも、パソコンが必要に。米国子どものスポーツ事情(谷口輝世子) - 個人 - Yahoo!ニュース

 今、我が家にはノートパソコンが3台あります。1台は私、もう1台は夫、昨年もう1台を購入し、子ども2人と夫で使っています。

 中学生は家に帰ってくると、まず、パソコンの前に座ります。(だいたいゲームやっています。うちはゲーム機は持っていなくて、パソコンのみですが、それでもずっとゲームしています……)。宿題も少します。友達とグーグルハングアウトで時間を決めて宿題しています(これは紙と鉛筆)。

 宿題もゲームも仕事もできるのがデジタル端末。子どもには

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること を読むようにすすめてみました。

オートメーション・バカ -先端技術がわたしたちにしていること-こちらは英語版を読んだそうです。

 

『運動部活動の戦後と現在』を読んで、アメリカから現地レポート

『運動部活動の戦後と現在』(中澤篤史著・青弓社)を読んでいる。

実はまだ途中までしか読めていないのだけれども、中澤氏の日米英の部活動国際比較について、アメリカから現地レポートしてみようと思います。

この本の日米英の部活動国際比較部分についてはシノドスで読むことができます。


運動部活動は日本独特の文化である――諸外国との比較から / 中澤篤史 / 身体教育学 | SYNODOS -シノドス-

 このシノドスには載っていないのだけれども、書籍にはP81注13として次のようなことが書かれている。

アメリカでも、19世紀末あるいは20世紀初頭、東海岸地方で運動部活動が大きく広がりを見せていった。そのときから現在に至るまで、アメリカの運動部活動で、スポーツを通じて人間形成を図ろうとする観念と実践は、少なくとも言説としては絶えることがなかったといってよい。しかし、実態としては、それ以上に「勝利」「ビジネス」「スペクタクル」と結びつけられた競技活動として、アメリカの運動部は展開してきた。なぜか。

実はアメリカも人格形成は常に強調されていることと、この引用した注の部分の「なぜか」について、現地レポートと私の憶測を書きます。

 1、シノドスの日米英の比較表にあるように、日本の指導目的が人間形成であるのに対し、米国は競技力向上となっている。しかし、これは書籍の注13に書かれている通り、米国でも子どものスポーツ、学校スポーツでは常に人格形成が目的であることが強調されている。

 運動部の生徒たちはathlete ではなく、student athlete と呼ばれている。これは選手であっても常に学生という身分であること忘れないためだ。プロ選手ではなく、アマチュア選手でなければならない。

 それに、米国では学校の成績が一定基準に達していないと、たとえトライアウトという入団テストをパスしても、運動部活動に参加できないという規則がある。(日本でも顧問の方針で、という事例は聞いたことがある)

 米国では19世紀末に生徒たちが自主的に野球やアメリカンフットボールをし、生徒たちだけで学校対抗戦の段取りをし、用具購入や施設使用に必要なお金を集めるために入場料もとっていた。しかし、これらの学生たちが秘密結社的に他の生徒を排除したり、生徒だけでお金の管理をしていたことから、会計係であるマネージャーの生徒の横領などが問題になった。そこで20世紀はじめには学校側が介入し、州の高校体育協会も作った。このときから、学校側は一定の学業成績に達していないものは参加できない規則を盛り込んできた。(学校の介入に対して生徒は反発。特にこの学業成績に関する規則に対して生徒はかなり反発したそうだ)

参考文献 The Rise of American High School Sports and the Search for Control, 1880-1930 (Sports and Entertainment)

 

 2、注13の「なぜか」に対しての現地の様子と私の憶測、推測。

  〇米国人は運動部活動の競技性そのものを人間形成と捉えている。

    これは1とも関連しているが、米国人は子どものスポーツに何を期待しているのだろうか。

 この書籍にも書かれている通り、米国では集団種目は基本的にはトライアウト制である。一軍であるバーシティチームに入るには、トライアウトで勝ち抜かなければならない。他校との試合では、ルールに則って、フェアに戦い、チームメートと協力しあい、勝ち抜かなければならない。アメリカ人の大人たちは、「競技力を向上させ、チームで協力し、フェアに戦い、そして勝ち抜くこと」こそ、子どもたちがスポーツをやめた後の人生で必要なものと考えているのではないか。米国人は子どもが就職するとき、就職してからの仕事においても与えられるのではなく、努力して何かを自分自身で勝ち取ることが必要と考えている。

 日本の指導者が社会に出てからも「あいさつ」や「言葉遣い」は重要であるから、これらをスポーツを通じて学び、人間形成をして欲しいと望むことと同じだろう。

 参考文献 Playing to Win

Playing to Win: Raising Children in a Competitive Culture: Hilary Levey Friedman: 9780520276765: Amazon.com: Books

 この本の感想文もブログのエントリーに書いています。

米国のスポーツ少年、少女の親は何を期待しているのか。 - 『子どもがひとりで遊べない国、アメリカ』 (谷口輝世子・生活書院)

 〇スペクタクルと高校の地域密着。

  私はミシガン州デトロイト郊外に住んでいて、市の人口は約9万人である。9万人の市には公立高校が3校ある。進学の際に受験はなく住んでいる場所によってどの高校へ通学するかも自動的に決まる。つまり、公立高校の運動部に所属しているのは、この市の住民の子どもたちである。
 米国の中高スポーツは近隣高校とのリーグ戦であり、学校対抗戦は長年の対戦によってライバル関係にある。リーグ戦は基本的には自校か対戦相手校のグラウンド、体育館で開催される。ホームゲーム、つまり自校のグラウンドで行われるときには、同じ学校に通う生徒、保護者だけでなく、地域住民がアクセスしやすいため、多くの観客が詰めかける。同じ学校の生徒によるチアリーディングとブラスバンドが応援して盛り上げる。自校の生徒と地域住民と、高校運動部との物理的、心理的距離の近さが、スペクタクルにつながっているように思う。(アメリカに来て、初めて高校の試合を見に行ったとき、観客席スタンドが立派であることに驚きました)

 〇「勝利」「スペクタクル」と「練習と試合」について。

 米国の子どものスポーツや学校運動部は日本に比べて、全体練習日数に対する試合数が多い。高校のアメリカンフットボールは練習週4回、試合が週1回が一般的だ。地域にあるアイスホッケーチームは小学生、中学生とも6カ月のシーズンで50試合以上しているチームが多い。私が保護者として経験した小学生の競技の野球チームでは、シーズン中は、練習が週2回、試合も週2回だった。

 私は1995年にロッテ球団が広岡ゼネラルマネジャー、バレンタイン監督を迎えたときに担当記者をしていた。そのとき、広岡GMとバレンタイン監督は練習量を巡って意見が対立した。広岡GMは練習量重視なのだけれども、バレンタイン監督は「若い選手は試合でしか経験できないことがある。経験は練習では得られない」と反対していた。

 米国人が練習の重要性は否定しないまでも、練習よりも試合を重視するのは「試合でしか得られないもの」があると考え、「試合は子どもたちがより楽しめる(スポーツそのものの特性保持)」と考え、実は保護者が「子どもたちが試合をする姿を親として見るのは、練習を参観するよりも親として楽しめる」と考えているからではないか。

 つまり子どもたちの試合そのものが大人たちの娯楽、エンターテイメントであり、練習より試合のほうが「勝利」は意識されて強調されるし、「スペクタクル」の要素が強いのかもしれない。

〇高校の上の大学スポーツの存在。

 NCAAのアメリカンフットボール、バスケットボールにあれだけのスポンサーと観客が集まるので、高校運動部も「勝利」「ビジネス」「スペクタクル」と結びついている。(大学になぜ、あれだけのお金とお客が集まるのかは、長くなるので、また別の機会に書きます)