昨日のブログで、子どもがパスを出さずにつぶされても、つぶされてもドリブルで進みたがるのはなぜか、ということについて少し書きました。
恐らくその理由のひとつに試合を見ている親の本音として「自分の子どもがドリブルで相手ディフェンスをごぼう抜きにする姿を見たい」という気持ちがあるのではないか。と書きました。
その続きです。
子どもの側に自分の置かれた状況を客観視する力が育っていないと、なかなかチームプレーはできません。
全くの専門外ですが、心理学の本などを読むと早い子では10歳ぐらいから「自分とは何か」ということを考え始めるそうなので、その年齢以下とか、その状態にない子どもは、自発的にチームプレーをするのが難しいのかもしれません。
また、子どもの自由な遊びとしてのボールを使ったゲーム形式のようなものを観察していると、一人の子がボールを独占してしまうと、いっしょにやっている子はおもしろくありませんので、自然と遊びをやめてどこかへ行ってしまいます。
しかし、ボールを独占している子も「遊び仲間」に逃げられては、遊びを楽しめません。
公園の草サッカーでは、自分ばかりがドリブルで突進してシュートしていては、いっしょに遊んでくれる子はいなくなってしまうのです。
そこで適当にルールを変更し、小さい子は1点を2点分とカウントするとか、チームを作り直して2対4でやるとか、将棋でいうと飛車角落ちのようなハンディをつけることで均衡状態に近づけようとします。
戦力が均衡かどうかは、ゲームにとっての重要な要素です。体育の授業では、能力差のある子どもたちを集団授業のなかで、いかに個別の挑戦課題を与えるかということは非常に重要視されています。
よだんですが、日本のプロ野球も戦力均衡をもっと真剣に検討していただきたいものです。
これが少年スポーツの公式戦だと、チームメートがボールを独占したり、相手チームに全く歯が立たないからといって、途中で投げ出して帰るわけにはいかないのです。
ですから、自分ばかり活躍の場を求めるプレーヤーがいたとしても、少なくともその場では試合は続行していきます。(試合後に、チームメートから不満が出るとか、コーチから注意されるということはありますが)
また、小学校低学年から各種スポーツでトライアウトといわれる入団テストを受けてチームを作ることが多いですが、この子たちは運動能力がこの時点ではやや発達している子で、これまでは活躍の場を独り占めできていた子たちです。
それが急にチームプレーといわれても…という気持ちはあると思います。
前日のブログに戻りますが、その親たちも子どもの能力がやや他の子どもより発達していることで、これまでは子どもがごぼう抜きしている姿ばかりを見てきていたのです。
それが選抜されたチームの一員として、選抜された相手チームと戦うときには、そうそう活躍の場を独占することはできないのです。そして、昨年までの、数年前までの子どもの姿を思い出すのかもしれません。「もっと積極的に、どんなボールでも自分のボールと考えて」と子どもにアドバイスしている様子を見たこともあります。