プレーに対する評価

 あまりにも子どものスポーツについて書き込むと、自分の子どもやチームのプライバシーにかかわるのではと怯みますが、ここでは、あくまでも一般論として米国の子どものチームプレーに対する評価について感じたことを描いてみたいと思います。

 最近の子どもたちは、たぶん、ここ20年ぐらいでしょうか、幼稚園や小学校低学年からいろいろなスポーツを始めます。5歳児が初めて試合をするとき、チームプレーの概念はあまりありません。

 サッカーでも、バスケットボールでも、さらには野球でも、とにかく、自分がボールをとって、ゴールをする。または送球したい気持ちでいっぱいです。

 ですから、チームメート同士でボールの奪い合いをすることもしばしばあります。

 それでも、なんとかボールをとってゴールをすれば、そばで見ている親は手をたたいて喜びます。

 子どももとても誇らしげでガッツポーズをするなどで喜びます。

 何試合かこなすと、5歳児でも、チームメートからボールを奪うのは無意味なことというのを学習します。

 そして、ある時点、小学校中学年あたりでしょうか、組織化されたチームでは、コーチや指導者からパスすることの重要性、組織的なチームプレーについて教えられることになります。

 しかし、子どもたちは、すんなりとパスを出すことを受け入れられない場合が多いのです。つぶされても、つぶされても、自分でドリブルをして進むことを好みます。

 なにしろ、これまでは、とにかくゴールをすれば、自分も周囲の大人もうれしかったわけですから、パスを出せと言われても… ということです。

 組織化されたスポーツでは、大人、親、コーチの要求が子どものプレーになって表れます。

 これを私は、評価されるプレーを行おうとする選手側(子ども側)の、大げさに言えば「アクション、演技」と考えています。

 コーチからパスを出すように指示をされても、選手の親の本音が「ドリブルで相手ディフェンスをごぼう抜きするわが子の姿を見たい」である場合、まだ幼い小学生の子どもたちは、親のプレーに対する評価にひきづられてプレーする可能性があるではないかと考えています。

 そして、親の本音(建前は違います)が「チームプレーができるわが子」よりも、「ドリブルでディフェンスをごぼう抜きするわが子」を見たいと思っているケースが少なくはないのです。

 ここで、私が言いたいのは、チームプレーがよく、ワンマンプレーが悪い といったものではなく、
子どもといえど、子どもだからこそ、観衆である親の評価とは無縁のプレーをするのが難しいと思うのです。