先日、米スポーツ専門局ESPNがクリントン元大統領とNBAのスター選手であるコービー・ブライアントを招いて、ユーススポーツに関して討論をするという番組を放送しました。
ユーススポーツについて話し合われるとき、必ずといってよいほど引き合いに出されるのが、米国の子どもの肥満の問題、テレビやPCといったスクリーンの前で過ごしている時間の長さ、体を動かして遊ぶ時間の少なさです。「だから、身体能力にかかわらず、勝敗を追い求めず、本格的なスポーツでなくてもよいから、楽しく体を動かすプログラムが必要だ」という結論に達することがほとんどです。
コービー・ブライアントは「スポーツのおもしろさは競争である」としています。
私もこれは同意。対戦相手と競うことに、スポーツのおもしろさはあると思います。
『遊びと人間』(ロジェ・カイヨワ)の4分類でも有名です。遊びと人間 (講談社学術文庫)
例えば、子どもたちが好きなテレビゲームでもゲームの中には競うという要素があり、そのことがおもしろさにつながっています。そのほか、鬼ごっこなどの昔からある遊びでも「おに」と「競う」ことにおもしろさがあります。
子どもたちに「健康のために外へ出て走ってきなさい」と言っても、そこに「おもしろい」という要素がなければ、子どもたちがゲームとして魅力のあるテレビゲームやその他の電子端末に流れるのは当たり前のことかもしれません。
コービー・ブライアントが言うように「競争」を、子どもたちが楽しんでくれればなと私も思います。勝ちを目指して競う「勝利至上主義」は悪いことだとは思っていません。
コービーの横では、クリントン元大統領がチャーチ・リーグのバスケットボールの試合で活躍したエピソードを披露。チャーチリーグは教会のレクリエーションリーグのこと。それほどレベルが高いわけではないと思います。しかし、その試合で活躍したことは元大統領にとってもよい思い出となっている様子。レクリエーションのなかにも競争や活躍の喜びがある、ということが元大統領の話からも分かります。
別の動画でコービーはこんなことも言っています。「全員が勝者」というのはおかしい。子どもたちがスポーツに参加しただけでメダルをもらえるのはおかしい。これも私はほぼ同意。
参加しただけでメダルをもらえることへの疑問はコービーだけでなく、『自己愛過剰社会』という本でも取り上げられています。

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コービーは別の動画でティーボール(野球のボールをティーに乗せて打つ、野球初心者向けのゲーム)で得点を記録しない、順位をつけないことも快く思っていないとしています。
私はこの点に関しては、未就学児、小学校低学年あたりまでは「大人が得点を記録する必要はない」と考えています。
子どもたち自身が、例えばグラウンドの土の上に棒切れて得点を書いていたり、指で両チームの得点を数えていたりするのはいいと思います。
ただし「大人が得点を記録すること」は大人が子どもを勝ち負けや順位で評価することにつながる可能性があるのではないかと思います。
例えば、テレビゲームで子どもが勝った、負けたからといって、そのことで子どもを評価しようという人はほとんどいないと思います。
子どもたちが、テレビゲームや電子端末から離れて、体を動かして遊ぶには、そこにテレビゲームと同様かそれ以上の「おもしろさ」「楽しさ」が必要。友達や対戦相手と競うスポーツの面白味はカイヨワの分類のとおりです。
小学校高学年、中高生たちはルールに沿って、審判を入れ、得点も表示するほうが、よりフェアにゲームができて、競い合う楽しさが増すのかもしれません。
ただ、勝敗や順位を大人からの評価の物差しとして使うことについては、身体能力が未発達な子ども、運動の苦手な子どもの、運動離れを招く危険もあるのではないかと、私は考えています。自分のプレーの結果が評価されることは、スポーツが「仕事」になってしまうということかもしれません。
私は子どもたちが、評価されることの不快さではなく、競うことの楽しさを感じてくれればと考えています。
ここまで書いていて、思いつきました。うちの子どもたちがPCで宿題するようになった2年ほど前から、PCでゲームもするようになりました。雪で休校になった日などは長時間やっておりました。
今度、ゲームをしている子どもの後ろに立って、親目線で勝敗を徹底的に評価したら、子どもたちは、どうするかなあっと。