子どもの遊びの変遷

クリスチャン・サイエンス・モニター誌に子どもの遊びに関する長文記事が掲載されていました。
http://www.csmonitor.com/USA/Society/2012/0122/Toddlers-to-tweens-relearning-how-to-play
米国内でも遊ばない、遊べない子どもたちを懸念する人はいます。

この記事のなかでは科学者、心理学者、親がそれぞれの立場から「遊び」について述べています。
 
オンライン記事にはなかったのですが、誌面のほうで記事全体に通じる遊びの変化についてまとめたものがあるので、それを引用してご紹介します。(以下、私が適当に翻訳)

 遊びの変化
1950年代
●外遊び
 都会でも田舎でも大人の付き添いなく遊ぶのが普通。
●異年齢
 いっしょに遊ぶ
●自転車とボール
 自転車とボールが主な外遊び道具。室内ではボードゲームが最も一般的
●野球などの伝統的なゲームが中心で場所や道具にあわせて変化させていた。

1980年代
●おもちゃの使用が増加
 おもちゃの使用が増加し、その多くはブランド化。TVのキャラクターに関連づけられたバービー、パワーレンジャーズ、マイリトルポニーなど。
●外遊び
 外遊びは大人の付き添いがより一般的になり、組織だった決められた活動の一部となる
●テレビ
 子どもの自由時間の一部としてテレビの視聴が増える。
●運動がより形式的に
 年齢別によるサッカーキャンプなどが、空き地での近所の子どもたちとの自由なサッカーよりも主流になる。

2010年
●おもちゃが遊びの中心となる。
おもちゃの多くはメディアのキャラクター関連で、なんらかの電子機器。
●自由な遊び時間のほとんどを、テレビかコンピュータースクリーンの前で過ごしている。
●大人の付き添いのない外遊びは、ほとんど存在しない。子どもの身体活動は減少。
●異年齢、性別を超えた遊びは見られなくなってきている。兄弟姉妹間でも。
              引用終わり

 私自身も自由時間があればこうやってパソコンの前に座っています。うちの子どもは電子宿題が出るのでパソコンの前に座っている時間もあるし、天候の悪いときはテレビをずっと見ていることもあります。ケーブルテレビでは、一日中アニメ番組を放送していますし、別にテレビ番組に限らず、DVDだってあるわけです。ゲームだって、テレビ画面を見ながらやるから、テレビの前の遊びとしてカウントされます。
 
 大人が意図的に子どもに外で遊ぶような場や機会を作らない限り、子どもはおもちゃなしで遊ぶことはできなくなってきているとのこと。

 テレビやコンピューターがあれば、子どもは、ひとりずつでも、友達とでも飽きずに遊べるのに、それを大人が付き添って外に連れ出すとなれば、また、かなりの労力を要するわけで、全ての親がその労力を捻出できるとは限りません。

 米国でも、子どもの遊びが重要視されてきていて、保育園で「自由な遊び」をさせる時間を多くとっているところも一部で出てきているようです。

 しかし、大人が意図的に子どもに遊び場や機会を提供する場合、どこまで見守り、どこから子どもたちの自由に任せるのか。

 そういうことをルールで定めたり、明文化することは難しいことです。あいまいに適度に見守るというのは、たぶん、米国の最も苦手なところのひとつだと思います。私も含めて、これをどうやって乗り越えていけばいいのでしょうか。

 子どもを「預かる」民間企業には、「適度に見守る」という言葉はないはずです。やる気のない職員がぼんやりと子どもを遊ばせている姿は見かけることがありますが…。