走って、お金を集めること

チャリティ・ラン?

 地震や津波で被災された人への義捐金集めとして、スポーツ界ではチャリティー・マッチ、チャリティー・ゴルフなどが開催されます。音楽や演劇、演芸でも同じように入場料を義捐金とされているようです。

 普段は見せることでお金をもらっている人たちが無料でパフォーマンスする。観客は本来、パフォーマンスを見せてもらうことに払っていた金額を募金とするということですよね。

または、なんらかのイベントをして、収益金を寄附するとか。

 これは私も分かります。

 しかし、ここ3年間、ずっと理解できないことがあるのです。子どもの通う学校で開催されるFUNRUNという行事のことです。

 うちの子どもたちは家から最寄の公立小学校へ通っていますが、年に何度か基金への寄附をお願いされます。基金は学校の備品を購入したり、行事に必要な費用に充てるということです。

 そのひとつがFUNRUNなのです。決められた時間内に校庭を何週走れるかというマラソン大会のようなもので、恐らく「がんばって走るので、基金に寄附してください」という意味なのだと思いますが。

 基金は一口60ドルからです。親、親戚、知り合いなどから60ドル集めないといけません。例えば、3人兄弟で同じ学校に通っていたとすると、一家で最低180ドル集めなければいけません。学校全体では日本円でおおよそ300万という大きな金額になります。

 学校からもらってきた封筒には「60ドルを集められなかった児童も参加できます」と書かれてありました。参加費というとらえ方もあるのかもしれません。

 子どもが寄附金を集める努力をしたことをたたえるために、集めた金額によって子どもに賞品を渡している学校もあるとのこと。

 しかし、私は毎年、納得し難いモヤモヤが残ります。子どもが外を走るというのは私にとっては「当たり前」のことで、「お金を寄附してもらうためにがんばるほどのことなのか」という疑問です。

 校区内の公共施設を掃除するとか、地域の高齢者宅の庭そうじなどを手伝うなど、子どもにもできることはたくさんあると思います。そのお礼として基金に当てるお金をいただくという方法はできないものかと。

 実際、中高生などは、週末になると「バレーボール部です。洗車します」などというカードを下げて学校や教会の前にたっていて、洗車と引き換えにお金をもらい、それを部費の足しにしています。

 アメリカでは学校の行事としてのFUNRUNだけでなく、チャリティ・ランやチャリティ・ウォークはたくさんあり、自分が走ることで寄附を募ったり、マラソン大会の参加費を基金にまわしたりというイベントは他にもたくさんあるのですが…

 日本で生まれ育っている私には、どうしても子どもが走ってお金を集めることに違和感があります。

 それとも、それでいいのかな。子どもが走るという「芸」をして、親や親戚などの大人が「楽しませてもらったよ」ということでお金を払っても…。