私は歩きたい

私は歩いていろいろなところへ移動します。図書館へ、郵便局へ、スーパーマーケットへ、銀行へ、子どもの学校へ。

 しかし、ここはアメリカ中西部。しかも郊外の住宅地。みんな車に乗って移動します。

 そのためか、私は近所の人から車を持っていない人、車の運転免許を持っていない人だと思われていたこともあったようです。

 今でも、近所や知り合いの人たちは車の運転中に私が歩いている姿を見かけると、親切に「車に乗ったら」と声をかけてくれます。でも、私は「ありがとう。でも大丈夫」と隣人の気持ちに感謝して断ります。

 私はここでは滅多に冷房をつけません。冬は室温10度に設定しています。どうしても寒いときは図書館など公共施設を利用します。

 車がないと生活できない人がいます。体質や健康上の理由で冷暖房がないと暮らすことが難しい人もいます。停電すると命にかかわる人がいます。必要とする人には必要とする道具やエネルギーを使ってもらうべきだと思います。私の家も、子どもが乳児だったころには暖房の温度は15度に設定していました。

 私は今のところ、なんとか健康なので、ほんの少しの不便は我慢をして暮らしていきたい。

(もちろん、個人的にそう思うだけで、他の人にすすめたいとは思っていません)

 アメリカは様々な不便を、道具を発明することによって解消してきました。

 ただ、それが行き過ぎているのではないかと感じます。

 たとえ距離が近くても、歩きたくないから車、ちょっと寒いから暖房、ちょっと暑いから冷房、洗濯は乾燥機、食器は食器洗い機。
 
 大人だけでなく、本来は体を動かすのが好きなはずの子どもにまで、そのような生活スタイルは浸透しています。

 道具を発明し、それを使いこなすことによって不便を解決する。

 それだけならいいのだけれど、いろいろな問題をボタンひとつで解決しようとする思考につながっていくことはないかと不安に感じます。

 だから私は今年も歩きます。自分自身のそういった不安を和らげるために。