体罰はなぜいけないのか。本当に私は心底どう思っているのか。
私自身は厳しい体罰による指導を受けたことはない。ただし、指導者にたたかれても、あまり堪えない、体罰による指導を受け入れる性質の子どもであったと思う。自分の子ども時代は追い込まれて厳しい練習をして、競技向上したいと思い込んでいた節がある。
まず、他者の身体を敬うという感覚があるか。他の人間を自分の思うように動かすために暴力を使っていないか。
①スポーツ科学の研究から、体罰や罵声によって指導しても技術の向上には効果的でないとされているから
②暴力で子どもを従わせて、きついトレーニングをさせることは、子どもの自分の身体への危険を感知する力を鈍らせ、ケガやひどく体調を崩す危険をはらむ
③学校で行われるスポーツ活動は、どの子どもにもスポーツを楽しむ権利がある。しかし、暴力によって指導が行われている場合は、その暴力を受け入れられる子ども以外は、やめるしかなくなり、スポーツする権利を与えられていないことになる。体罰やしごきのサバイバーだけに、スポーツする権利が与えられていることになっていないか。
④指導者の暴力によってでも「ムチ」を入れてもらい、激しいトレーニングをしたいと望む子どもは、体罰を受ける権利があるのか? これはいわばドーピングと似たようなもので、ドーピングを使用することによって生じる競技の公平さへの影響はないとしても、過剰なトレーニングをすることは健康を害するおそれがあることを子どもに理解してもらう必要があるのではないか。また、体罰なしでもトレーニングをできる方法を学ばない限り、技術の向上は難しいのではないかとも思う。
⑤成人している選手は、本来ならば自分自身が主体となって指導者を選ぶことができることもあるし、指導に対する異議申し立てできるのが自然なあり方ではないのだろうか。
⑥成人していない選手。子どもが体罰を受けている場合には、子どもの身体を守るという観点から、保護者が指導者に指導法について問うことが必要ではないか。ただし、スポーツをやるのは子ども自身であるし、指導者による戦術、起用法(たとえば、レギュラー、補欠など)について、保護者が口を出すのは、指導者の仕事に踏み込むことになるので、私は保護者がやるべきことではないと思う。