二分の一 成人式

配慮すべきはプライベートな内容を発表させることで、生い立ちを隠し通してあげることではない。

 内田良先生の二分の一成人式を読んで、考えたこと。

考え直してほしい「2分の1成人式」――家族の多様化、被虐待児のケアに逆行する学校行事が大流行(内田良) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

 日本の学校では10歳になる子どもたちの学年で「二分の一成人式」というものを行っているそうだ。


 そのイベントの中心となっている内容に、子どもたちがここまでどう育ってきたかという生い立ちを振り返り、育ててくれた保護者に感謝の気持ちを述べる、というものがあるらしい。


 学校が子どもたちに親への感謝を促すようにもっていくのは、私個人の好悪から野暮だと思っているのでやりたくない。 子どもの生い立ちや家庭の内情はプライベートなので、たとえ両親、兄弟姉妹仲良くという家庭であっても、発表を義務づけられるのは嫌だ。

 しかし「一般的でない家庭で育っている子どもがいるのだからそれに配慮すべきだ→だからその子たちがつらい思いをしないように学校の場で発表させるべきではない」という意見には、ちょっと待って、と思っている。

 子どもたちの生い立ちは当然のことながら様々である。

 生物学上の両親によって育てられている子どももいれば、養子として迎えられて育つ子もいる。祖父母や親戚に育てられる子もいれば、どちらかの親とその再婚相手に育てられている子、ひとり親家庭で育つ子、同性愛者のカップルで育つ子、養育者がおらずに施設で育っている子もいる。親の宗教や思想によって合宿生活のような暮らしをしている子もいるかもしれない。

 しかし、生物学上の両親が揃っている家庭で育っていないことは、隠さなければいけないことではないはずだ。主たる保護者は生物学上の親のほかにもいろいろな人がいる。保護者や家庭の形態が多様なのは当然のことであり、子ども本人も他の子どもたちや大人も、自然なこととして受け入れられるような社会であるほうがよいと私は思っている。それを伝えられる場所が公立の小学校ではないのか。

人生いろいろ、親もいろいろ。子どもはもちろんどんな家庭で暮らしているかの影響を受けるけども、子どもにはどんな親のもとに暮らしていても、人間らしく生きる権利が保障されている。どのような親のもとで育っていても、子ども自身は親とは別の人間で、子ども自身にも人権があることを教えてやりたい。10歳の子どもなら、そろそろ理解できる。

  私は米国に住んでいる。自分の子どもを通じて、いろいろな保護者の方とおつきあいさせてもらっている。ひとり親、再婚カップル、養子として迎えて育てている親、同性愛カップルとさまざまだ。自然な会話のなかでそれを告げられても「そうでしたか」の一言で終わる話である。私の子どもたちも「アクセントがあって、あやしい英語を話す外国人の親」=私、のもとで育っている。

 「生い立ちというプライベートな内容を発表させる」ことには配慮すべきだ。

(私はプライベートなことなど発表させる必要はなく、たとえ学校の授業中に保護者に向けて手紙を書いたとしても封をしたまま家に持ち帰ればいいと思っている)

 配慮すべきは家族関係という私的なことであるからであって、他の子どもたちと自分の生い立ちが違うからという理由であってはならない。

 さっきの繰り返しになるけれど、とても素晴らしい理想的な親のもとで育っても、虐待や育児放棄をする親のもとで育っても、子どもは親とは別の人間で、人間らしく生きていく権利を保障されている。「10歳の子どもであっても親とは別の人間で、親に殺されると思ったら、自分自身の生を守るために逃げてよいし、他の大人に助けを求めてよいのだ」と伝えたい。

 私は何年か前に近所の公共図書館で、犯罪者の子どもの写真集を見たことがある。その本を手にとったときに戸惑った。いくら子どもの親権者が承諾したとはいえ、子どもの顔がはっきりと写っている写真を出版してよいのかと。ページをめくると、かわいらしい顔や輝かしい笑顔がたくさん出てきた。親が犯罪者であるからといって、それだけでこの子どもたちをより厳しい状況に追い詰める社会であってはいけない。バイアスのかかった視線でこの本を手に取ろうとした私は間違っていると強く感じた。(追記。今、アマソンで見つけました)

What Will Happen to Me: Every night, approximately three million children go to bed with a parent in prison or jail. Here are their thoughts and stories.: Howard Zehr, Lorraine S Amstutz: 9781561486892: Amazon.com: Books

  追記*これを書いてから思った。学校は子どもが親に感謝するような場をセッティングするよりも、むしろ学校だからこそ、ひとりひとり10歳になるまでのバックグラウンドは違うけども、みんな人間らしく生きる権利を保障されているということを伝えることができるのではと思った。