選手育成に必要な費用を誰が負担するのか、という話

昨日、ツイッターで学校リスク研究所の内田良先生と少しやりとりさせていただきました。

内田良先生の数日前のツイッターと私の投稿です。

真ん中、同じツイートが重複しています、スイマセン。

私自身のスポーツの見方は、内田先生の柔道事故や組体操の調査に影響を受けていることが多いと思いますが、外部でスポーツをする ということには少し違った考え方をしてます。 

米国では中学や高校からは学校単位でのスポーツ活動があります。

いずれもシーズン制で主に秋、冬、春の3季に分かれています。例えば野球は学校では春シーズンの3カ月だけ、サッカー男子は秋シーズンの3カ月だけ、などとなっています。練習や試合は基本的には平日夕方に行われています。トーナメントなどの大会は別ですが。

また、高校では所属するリーグや州の連盟によって、入部テストにあたるトライアウトの日程、全体練習初日が定められています。プロ野球のキャンプインみたいなものです。定められた日よりも前に、顧問やコーチが全体練習をさせることはできません。熱中症予防から、アメリカンフットボール部などでは、連続して練習できる時間を規則で制限している州もあります。

ですから、全体練習時間は日本の部活動よりも少ないはずです。年間通じて活動しているのと、シーズン制でやっているのを比較すると、単純にそれだけで4分の1、3分の1の練習量になります。

しかし、実際には、学校運動部に所属する多くの子どもは、学校外のクラブチームや地域のチームに参加し、結局はほぼ一年中、スポーツをしています。

高校の集団種目は、トライアウトがあります。学校の運動部で3カ月やるだけの子どもと、外部で1年中やっている子どもとの間には大きな差がつきます。入部の段階でも、結局は学校外でやっている子たちが有利になってきます。

学校外でスポーツするのに必要な費用は、保護者が負担しています。(追記:ボランティアで指導すること、ボランティアでコーチをすることも含めて)

学校内でのスポーツに必要なコストは学校区の予算と生徒からの参加費、スポンサー、入場料で賄っています。

日本の部活動は、トップ選手育成の底辺を担っていて、保護者が高額な指導料や施設使用料を支払わなくても、誰もが参加できる仕組みになっていて、そこからプロ選手になる人や国を代表する選手を輩出してきた。裏を返せば、学校の教員で部活動の顧問を務めている先生の頑張りや善意によってそのコストをまかなってきたということですよね。

私は外部から学校運動部の指導者を招くことには賛成ですが、学校運動部を縮小して、外部のスポーツ団体や民間スクールで子どもたちにスポーツしてもらうことはよく考えないといけないと思っています。

トップ選手の育成を完全に学校外の外に委託するとなると、それはそれでまた、いろいろと問題が出てきそうだからです。

まず、経済的余裕のある家庭の子どもが有利になる。そういう批判をかわすために、才能があると感じられる子どもには保護者の負担をなくし、奨学金制度のようなもので安く指導を受けられるようにする、としても別の問題が出てきます。

まず、成長途中の子どもたちを、どうやってトップ選手と一般選手に選別するのか。

スポーツでも選別をするとなると奨学金制度のようなものを得るための個人レッスンを受ける人たちが出てくると思います。

米国でも運動で優れた人には、大学から奨学金がもらえるのですが、この奨学金をもらうための競争が小学生のときから(もっと早いかも)はじまっています。

部活動の顧問の負担、外部指導者を招いたときの費用の問題を考えるとき、スポーツ選手育成に必要な費用(人も含めて)を誰が負担するのかを決めない限り、どうにもならないんじゃないかなと思っています。

保護者か、地方自治体か、国か、スポンサーか。

そうなると費用対効果の話が出てきて、スポーツ選手育成の意義が問われたり、「お金をつぎ込んだからには、1番になってもらわないと!」という意見が出てくるかも。

私、近所の高校のアスレチックディレクターにこんなことを聞いたことがあります。「日本では、アスレチックトレーナーやあなたのようなポジションの人を雇用しようにもお金がないという話になり、そこでストップしてしまうようです」と。

そのアスレチックディレクターは「この国では、スポーツは私たちの文化であると考えられて、学校予算が割かれているのだと思いますよ」と。

いい話でしょ。ただし、それでも問題はあるのです。いつだったか、アトランティックという雑誌に学校の予算がギリギリで、数学を教えるのに必要な予算は削られているのに、スポーツ活動の予算は削られていない。本末転倒ではないかという記事が掲載されて、議論になったこともあります。

子どものスポーツにどこまでお金をかけるのか。プロにも、五輪選手にもならないその他大勢の子どもにもスポーツをするおもしろさを十分に味わってほしい。それと同時にトップ選手も育成していかなくてはいけない。でも、子どもを選別するのは難しい。学業とのバランスもある。学校の部活だけの問題ではなく、国や社会は子どものスポーツをどう捉えていくのか。ここをもうちょっと考えていかないといけないのかなと思っています。