小田島隆さんのバレンティンの静かなる55号を読んで。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20130912/253327/ 日本のプロ野球界ではバレンティンが王貞治氏の持つ年間最多本塁打記録に並んだという。
これまで外国人選手が記録更新のチャンスを迎えながらも、越えられなかった壁があった。今回のバレンティン選手の快挙にも、新聞はあまり大きな記事を出していないらしい。
小田嶋氏は、ナイター中継が減り、視聴者、ファンが選手のこれまでのストーリー、対戦相手との対決シーン、そういった文脈がわからなくなり、「55」本の「物語性」や「神聖さ」がいつの間にか失われていたのではないかとしている。
野球には間合いがあることから、戦況を言葉で語るのに適していて、物語がうまれやすいスポーツだ。物語なくして、野球史の名場面は語ることができない。
アメリカ野球と物語の関係はどうなのか。ちょっと、日本とは違うところもある。
プロ野球と物語について、私が改めて考えたのは、昨年暮れに米国人のスポーツジャーナリストで、主にイチロー選手を取材しているブラッド・レフトン氏の講演を聞いたとき。
日本では、投手と打者の対決を報じるときに、1球目の球種、そのときの打者の反応、それに対する投手の反応など、1打席を言語化するのに、ものすごいスペース、ページ数を使っている。これはアメリカの野球の報道にはない。と。
ほんとにその通り。
日本の野球ファンに好きな投手は?と聞くと、そのライバルだった対戦相手の打者との物語を思い出すのがふつう。でも、米国人の野球ファンには、他球団のライバル選手はそれほどの印象を残していないらしい。
私の世代だと、子どものころの思い出で掛布ー江川、それから野茂―清原、イチロー―伊良部、イチローー松坂…。
しかし、米国では投手と打者のマッチアップで物語を語られることは少ない。半年ほど前、野球に詳しい方とツイッターでやりとりさせていただいたなかで、ヤンキースだと、ベーブ・ルースとルーゲリック、マントルとマリスなど同じチーム内での2人の物語はありますねえという話になった。
ここから、また小田嶋氏の記事に戻りますが、
文脈依存しない短期決戦のゲームは変わらずに人気がある。
米国の状況を見ていると、野球などは国を代表しているチームの人気はあまりない。WBCもそうだし、日本ではテレビ中継されていたというU18などは、ほぼ無視状態。
米国は他国の野球なんか気にしていない、ほら、ワールドシリーズっていう名前で大リーグの優勝決定戦をやっているぐらいだからという見方がひとつ。
そのほかに今、適当に私が思いついたもの。
①大リーグ球団は30球団あり、一般的なファンにとって30球団の選手を追いかけるのは不可能。時差もあるので、定時出勤の仕事の人にとって、チームが遠征している試合は見ることが難しい場合もある。
②地元テレビも同じく、地域の球団の成績しか報道しない。テレビのナイター中継も特別なパッケージを買っていない限りは、地元の球団の試合しか映らない。
③たとえば私の住むデトロイトのご当地チーム、タイガースはア・リーグに属している。そのため、長年の野球ファンでも、ナ・リーグの選手ことはほとんど知らない。
同リーグ、同地区といっても、年間の対戦試合数がそれほどないので、投手と打者との対戦物語が生まれにくいのかもしれない。だって、ライバル選手の動向はスポーツ専門チャンネルかネットを見ない限り、分からないんだから。
だから、代表チームが試合をやっていて、それが短期決戦であっても、選手のことを知らなさ過ぎて、これまでの物語もわからないから、興味がわかないのかもしれない。自分たちのために地元チームが勝ってくれることが重要で、国の代表となると、ちょっと国が広すぎて…という感じかもしれない。
また、横道にそれるけど、98年に白人エリートのマグワイアと、ドミニカ共和国からきたサミー・ソーサが年間最多本塁打記録更新競争をしていたときに、私はこういった内容の記事を書いていると(思う)
(略)シカゴカブスのサミー・ソーサを差別するようなファンの姿は見られなかった。すべては大リーグの枠組みで起こっていることで、シカゴのファンにとっては「自分たちの選手が記録を塗り替えた」ということだろう。とか、なんとかかんとか…
あのときの米国人のファンにとって、サミー・ソーサは自分たちの選手。武器は外国製でもいいってことにしよう(もちろん米国製にこしたことはないが…)という感じだったのではないか。→宣伝です。04年に出版した『帝国化するメジャーリーグ』(明石書店)でもこのことについて触れている。
小田嶋氏とはちょっと違う私の感想。(日本の野球を見ていないから本当に推測…)バレンティンの記録更新の受け入れは、日本人のファンの場合、自分たちのイチロー選手も日米4000本という偉業達成してるし、ダルビッシュ投手はサイヤング候補のひとりだし、若い人、選手たちの年代では王さんの現役時代は知らないし、まあ、いいんじゃないか、というのもあるかも。
もういっかい、米国野球と物語の方へ話を戻して。
大リーグの取材に行って、記者席に座っていると、広報から「これは○年の○選手以来の球団記録です!」と誇らしげな口調で発表がある。私は日本のメディアに記事を書いているので、球団の記録更新は、日本人選手でも絡まない限りは報道する価値なし、ばっさり切り落としている。
けれども、地元のファンにしてみれば、そういえばあの選手が記録を作ったときは、おじいさんが喜んでナイター中継を見てたなとか、時代をさかのぼる形で物語を作っていっているんだと思う。だって、他の球団の他の選手のことは追いかけられないのだから…。自分の地元球団の伝説の物語と今の選手をつないでいく。現役選手同士の対決ではなくて、同じ場所の時間の軸で比較してストーリーをつむいでいく。
ただし、米国だって、昔のように地元のチームがどうしたとか、記録がどうしたとかで、地域をあげて盛り上がることはない。それは、毎年、シーズン終了後に発表されるプレーオフの視聴率にも表れている。
でも、やっぱり、職場にいったら、多くの人があいさつがわりに昨日の地元のプロスポーツや大学スポーツのはなしをしているみたいだ。
以前、このブログにも書いたけど、町はグローバル化とチェーン店と出来合いの食事であふれている。多様な趣味、バラバラになっても、個人からお金の流れていく先はあの会社とか、あの会社とか、あのスーパーにより偏っている。地元の特徴とか、地元の特産品といったら、スポーツチームしか思い浮かばないという事情もある。
まあ、球団も地元、地域ということで、オフになると選手と監督が学校や公的な施設を回ったり、シーズン中は球団職員の人がうまく選手を動員して、チャリティイベントをしたりなどの経営努力もあるとは思うけど。