スポーツとメディアリテラシー

 先日、スポーツとジャーナリズムに関する次のような記事を読んだ。http://no-border.asia/archives/17875

 新聞社がスポーツ大会を開催・後援したり、マスメディアの会社がスポーツチームのオーナーであったりすることから、新聞やテレビといった媒体は十分にそのスポーツを批評することができない、といった話だ。ここで指摘されている問題点は、私もそうだと思う。

 新聞が発行されはじめたとき、テレビが市民の生活に定着してきたときから、新聞とスポーツ、テレビとスポーツの結びつきへの批判はあって、もう何十年も議論されてきたことでもある。

 それでも、メディアがスポーツの試合を自ら開催し、そして報道することには今も変化がない。私は、この2つが、ますますつよく結びついているような印象を受ける。

 米国のメジャーリーグでは、メジャーリーグそのものがMLBネットワークという局を持っている。テレビの全米放送視聴率そのものが減少しているのに、テレビの放映権料やホームページを中心とした有料動画配信、SNSの活用といったデジタル部門でも着実に儲けている。

 スポーツは、結末が分からず、筋書もない。そのためにライブ中継こそ盛り上がる。といった特性を持つ。それは好きなときに、好きな番組を見ることができる時代においてこそ、より価値が高くなり、今後もテレビやオンライン上の重要なコンテンツになっていくようだ。参考記事こちらです。

http://bostinno.streetwise.co/2013/12/31/interview-with-forbes-maury-brown-examining-the-reasons-for-mlbs-record-revenue-in-2013/

 これまでも、スポーツを扱うメディアは、さらにより多くの視聴者や閲覧者も獲得するために、スポーツの試合から、分かりやすくて、多くの人に伝わる「感動」や「興奮」を抽出して、放送、掲載するという戦略をとってきた。これからも「興奮」を与えるために、時には「スポーツと暴力」(米国の場合)をあおることになったり、「感動」を与えるために、時には「チームのために苦痛をこらえてプレーする姿」を称賛することも引き続き行われるような気がする。

 メディアは、政治や経済に関する記事や放送によって煽ることには慎重だろうけども、スポーツは煽ったところで、そのことによって実害をこうむる人が出にくいと捉えているのかもしれない。 

 今ではネットを通じて、このようなメディアの手法を批判し、さまざまなスポーツの楽しみかたを提供する手段もある。実況中継がウザければ、SNSで分かり合える人たちとリアルタイムでやりとりしあうこともできる。とはいえ、そういった楽しみや訴えは、世間一般には届きにくい。それはネットの影響力の弱さが原因ではなく、世間と観客がより「興奮」と「感動」を求める力のほうが強いからではないか。

 スポーツ中継を見て「興奮」したり、「感動」したりすることは何も悪いことではないと思う。

 しかし、「興奮」や「感動」を強引に生み出そうとして、スポーツと暴力や、健康を害してでも苦痛に耐えてプレーを続行するというストーリーをおしつけることは、ときには選手の心身をつぶしてしまうことにもつながる。テレビやネットでスポーツ中継を楽しみながらも、選手を「消費」し尽してしまわないようにするには、どうしたらいいのだろうか。

 私はメディアが報道姿勢を変えることは難しいと思っている。先に書いたように、これからもスポーツはメディア産業を支える重要なコンテンツであるだろうし、そのためには多くの視聴者を獲得できるよう様々なビジネス上の工夫がなされるだろう。

 「興奮」や「感動」は、まだ、もう少しの間は売りものになりそうだ。

 それにスポーツ界だって、ここで一気にメディアや視聴者が離れていったら、食べていけなくなる可能性もあるのだから、急激な報道姿勢の変化には及び腰になる。

 (米アメリカンフットボールNFLと脳の障害問題を取り上げたドキュメント番組をPBSという公共放送で見た。NFLは、死亡した元選手の脳を解剖した医師らの見解をなかなか受け入れず、しばらくの間、NFL側の医師がNFLの試合と後で発症する障害は関係がないと言い続けていた、ということなどが主な内容だった)

 そこで、これからスポーツ中継の視聴者になっていく子どもたちに、保健体育の授業を通じて、スポーツとメディアについて学習する機会を持ってもらうのがよいのではないかと考えた。

 小学生なら低学年でも、「広告」の目的ぐらいは分かるだろう。(先月、「体育科教育」(大修館書店)に、米国のスーパースター選手がファーストフードやカロリーの高いお菓子、スポーツドリンクなどの広告に起用されているという話を書きました)

 中学生ぐらいなら、報道する立場である新聞が大会を後援している構図も理解できると思う。

 それに、ネットの時代においては、子どもたちも被写体になることが少なくない。これまで試合のビデオ撮影などは、技術向上を目的としたり、内輪の楽しみとして、指導者や保護者が撮影してきたものが、今では子どもだけでも撮影して、簡単にネット上にアップすることができる。

 ブログやSNSを通じて自分のプレーしている姿や試合結果を掲載することもできる。高校生以上なら「見せる自分」「見られる自分」といったことも話題にできるかもしれない。全国大会に出場している高校生選手たちの試合がテレビの全国放送で中継されていることについて、同じ高校生として身近なこととして考えられるのではないかなあと思っている。

(米国でも大学スポーツは人気がある。大学スポーツには大きなお金が動いている種目があるのに、選手は全く報酬を得られない。選手にも少し報酬を、という意見が出ているのだけど、選手が報酬を得るようになったら、大学スポーツ中継の視聴率が下がるという予想をしている人がいる。何の見返りも得ない若い学生がプレーするから、よりウケるのだという分析)

 全然、話は変わるけど、米国のファーストフードチェーンは、これまで通りのハンバーガーやフライも売っているけど、サラダや脂肪のないヨーグルトを使ったメニューも売り出した。ファーストフードのお店でも、健康なメニューを提供しないと生き残っていけないからだろう。(たまに食べるビッグマックはおいしい!)

 見る側のほうが少しずつ変わっていけば、スポーツを扱うメディアも変わらざるを得なくなるかもしれない。

 

 

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