米国のスポーツ少年、少女の親は何を期待しているのか。

 先日、テキサス州の運動部に所属する高校生選手の保護者を対象にしたハンドブックを紹介しました。http://kiyoko26.hatenablog.com/entry/2014/01/08/230328

 その3ページ目に、大学に進学してプレーを続行できる人の人数、プロ入りできる人数が書かれています。奨学金を得て大学に進学してプレーを続行できる人は少なく、プロ入りとなると、その人数はさらに少なくなることが分かるようにしてあります。

 ハンドブック以外のコーチングやスポーツペアレンツに関する本でも、高校生選手のうち、奨学金をもらって大学進学後もプレーできる割合、プロになれる割合などを記したものが多いようです。

 しかし、スポーツをしている子どもを持つ親の多くは、NCAAのD1や強豪校にリクルートされることは難しいことを知っていますし、五輪選手になることができるのも、プロになり、さらにプロの世界で生き残っていく人もごくわずかたということを知っています。(これだけ数字が出回っていれば、多くの親が目にするのは当たり前かもしれません)

 それでも米国には放課後の活動として、大人が指導する形式のスポーツチームやスポーツの習い事、チェスなどをする子どもは多いのです。では、その他大勢のスポーツをする子どもたちの親は何を望んでいるのか、スポーツに何を期待しているのか。

 私が漠然と感じていたこと、さらに少々、驚いたことなどが、こちらの本に書かれておりました。この本の著者は、サッカー、チェス、ダンスの3種目を米国のミドル層、アッパーミドル層の住む街でフィールド調査しているようです。スイマセン、画像を張りつけられなかったので、コチラです。

http://www.amazon.com/Playing-Win-Raising-Children-Competitive/dp/0520276760

 まず、優秀選手に与えられる大学奨学金は望んでいなくても、スポーツや音楽等の活動をしていると大学入学時にやや有利であるとされている。→入学選考で有利になるかもしれない。

 子ども時代にスポーツをすることは、この競争の激しい米国社会(国際社会も含む)で少なくとも親と同じ階層を維持するか、それよりも成功を収めるのに役立つと考えられている。

 ①時間とストレスのマネジメントを学ぶことができる。

  スポーツやそれ以外の習い事をやっていると忙しいです。(それは日本でも同じでしょう)。練習や試合の合間に学校の宿題をしなければいけません。平日の夕方に練習や試合がある場合は自動車内で軽く食事を済ませている子もたくさんいます。

 ②負けたときに、そこから立ち直ることを学ぶことができる。

 ③人前でパフォーマンスすること、それによって人から評価されることに慣れる。

  学校のテストで万が一 0点をとっても、それは人目にさらされることはないでしょう。しかし、スポーツはたとえ子どもといえども、自分の親のみならず、他の子どもの親、友達、兄弟などに「スゴイ」も「全然ダメ」も「大勝」も「大敗」も全部、分かってしまいます。

 大人になっても何かのプレゼンテーションをする機会や、インタビュー、面接などの機会も少なくない。そこで人前でパフォーマンスすることに重圧を感じず、たとえ負けても立ち直ることができ…といったことを期待しているのだと。

 いい大学に入り、社会に出て、勝ち抜いて成功してほしいと親は考えているようだ、というようなことが書かれています。

 そうはいっても「イヤイヤ、うちは全然、そんなこと考えてません。子どものやりたいことをやらせているだけで」という反論もあるようです。

 それに対して、著者の言い分は大まかですが、こんな感じで答えています。

 こういった子どもの活動は、大会になると遠方にも親が付き添って出かけなければならず、練習や試合、用具代に相当なお金がかかる。親は、子どもにスポーツ(チェスも含む)を「やらせる、やらせてもよい」という選択、決断をしているからこそ、時間やお金をねん出できるのだと。 

 なるほどと納得。

 女子サッカー選手の親のエピソードがこういった親の期待をよく表しているように、私は思いました。

 米国ではアメリカンフットボールや野球が男子のスポーツであるのに対し、サッカーは男子と同じくらい女子の参加も多いのです。(なでしこと米国の対戦を見てもそうかもしれませんが)

 女子でサッカーをしている子どもの親は、子どもがたとえ女性であっても、将来、男性と対等にビジネスの場で競えるような人間になっていると考えているようだ、と。そして彼女らの親自身もその生き方を実践しており、夫婦あわせての世帯収入も高いようです。(確かにサッカーにはチームプレーも要求されますし、ひとつのボールをめぐって競り合う種目でもあります)

 一方、ダンスをしている女の子を持つ親は、将来の子どもへの期待として、これまで伝統的には女性が担ってきた教師、看護師などを描いているようだ、と。

 おもしろいなあと思いつつ、私が感じたことは、この本のフィールドワークの調査だけでは、決めつけられないと思ったこと。女の子自身がサッカーをやりたいと言い出す子どもと、ダンスをやりたいと言い出す子どもでは、性格や趣味がやや異なるのかもしれないと思ったこと。そして、親のほうは、子どものそういった性格を好ましく思い、その後の成長を思い描いているのかもと感じました。

 アジアでは子どもたちが英語を習得するのに懸命です。(←これもこの本で少し取り上げてありました)。日本もそうです。

 アメリカの子どもたちは、外国語としての英語を学ぶ必要はありません。しかし、将来、親と同じ階層やそれ以上に行くためには、どこかで人と差をつけなければなりません。それがこういった活動を子どもにさせることにつながっているのかもしれません。

  じゃあ、私は何を期待して子どもにスポーツさせているのか、というのは、またこんど、書きます。

 にほんブログ村 その他スポーツブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 海外生活ブログへ
にほんブログ村