数日前、ウォルストリートジャーナル紙に、研究調査の結果として、親が子どものスポーツに多額のお金をつぎ込むと、子どもがスポーツをして感じる楽しみややる気がそがれるようだという記事が掲載されました。
The Problem for Sports Parents: Overspending - WSJ.com
調査を行ったのは、ユタ大学のスポーツ心理学の先生で、元フットボール選手の Dr. Dorsch。
この記事のなかにもあるように、今では子どもがスポーツしようとすれば、(レクリエーションや学校の活動の範囲であれ)親が参加費を支払わなければなりません。
ですから、親が子どものスポーツに1銭も、1セントも支払わないという姿勢であれば、子どもは、ほとんどのチームや団体に所属することができません。最低限、親がお金の支援をすることは必要だと思われます。
ただし、親が子どものスポーツに多額のお金をつぎ込んでいて、子どもが「親は自分のスポーツに多くのお金を支払っている」ことを感じていたり、知っていたりする場合、スポーツをする楽しさが減少することにつながっているようだということです。重圧を感じる分、楽しさが減ると。(かなり大雑把にマトメていますので、詳しく知りたい方は英文記事を読んでくださいね。スイマセン、ずぼらで)
このブログでも、何度もふれてきましたが、米国のユーススポーツは練習時間や練習場所、指導などをお金で買う仕組みになっています。全体練習の時間や回数は日本よりも少ないところが多いのですが、多くの子どもたちが、他の子どもたちから遅れをとることがないよう、競争に負けないようにという理由で、お金を支払って個別練習を受けています。
一部では「希望を売るビジネス」とも言われていて、プロ入りや有名大学でのプレーを夢見る親子たちが、個別練習、プライベートレッスン、トレーニングジムにお金をつぎ込んでいると言われています。そこそこ有望な子どもの場合「いくらでもお金をつぎ込めるようになっている」と感じます。
親のほうは送迎などの時間とお金をつぎ込むので、どうしても「見返り」を求めたくなります。このウォルストリートジャーナルの記事のなかにもミシガン州立大学のDaniel Gould ディレクターが談話を寄せています。
見返りには、プロ入りや優勝などの結果でなくても、いいプレーを見せて欲しいなども含まれると私は思います。(私は勝利は求めていませんが、子どものいいプレーを見た日は自分の機嫌がよいのを自覚しています)
例えば、学習の場合ですと、学校の授業を受けているだけで、ものすごい天才児が出てきたというケースも稀にあるかと思います。または、親は全くお金をつぎ込まなかったけれども、子どもは公立校に通っているだけで、超難関大学に入学して、その後も優秀といった人もいるかと思います。
では、スポーツでも、子どもに任せてほうっておくといいのではないか。
しかし、先に述べたようにスポーツをするためには、何らかのスポーツチームに入らなければできない状況になっています。自発的に三角ベースや草サッカーしようにも不審者対策で大人の付き添いが必要だったり、遊べるだけの人数が集まらなかったり、子どもの趣味が多様になっていたり。
もう少し、子どもが遊びながらスポーツできる場を設けるべきかもしれません。
もうひとつは、有望な子の場合は強豪チームは育成プログラムからリクルートされることがあります。親がお金と時間をつぎ込めば、子が将来、国際舞台で活躍したり、プロになったりするかもしれない、ということを周囲から説得されば場合にどうするか、という問題もあります。難しいです。
親だけでなく、国際大会で活躍する選手には各競技団体が放っておきません。(五輪選手には税金が投入されているのだから、結果を出すべきだという人もいるくらですから…。選手が喜びよりも重圧をより感じるのも当然かと)。それにプロ競技のある種目でしたら、代理人が目をつけます。
選手がスポーツする喜びを感じられ、やる気が沸いてくるようなサポートとは、どんなものなんでしょうか。一概には言えないかもしれません。東京五輪を控えて、メダル獲得の目標を掲げて、税金やスポンサーなどからお金が投入されることと思います。それが、どうか、選手たちのプレーする喜びを重圧に変えて、不必要なしんどさを与えることのないようにと願います。が、私の考えは甘いんでしょうね。トップの選手は重圧をはねのけて、メダルを獲るんですから。
私は“その他大勢の”子どもの親でもありますが、高校や大学までプレーするだろうといった多くの子どもの場合は、親がそのほかの学校や地域での生活、家での生活を考えて、リミット、予算を設定するのがよいかと思います。じゃないと、どんどん夢を買いに走ってしまいますので。